悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

みんな、夏休みはなにしてる?


もうだいぶ昔のこと、私が見ていたブログに「みんな、夏休みはなにしてる?」というタイトルの記事がありました。

 

正確ではないかもしれません。もう行方の知らないブログなので、確かめることもできないし、似たようなタイトルの記事なんていくらでも見つかると思いますから、どのブログなのかということは重要ではありません。

 

けれども、妙にそのタイトルが頭にひっかかりました。「みんな」という呼び方がなんとなく気に入ったのです。

 

みんなは「みんな」って呼びかけること、ある?


私はあんまりないです。「みなさん」はまだあります。みんなはみなさまに比べて、打ち解けた感じがします。


たとえば、飲み会があったとして、待ち合わせ場所に行ったとき、
時間に少し遅れてしまい焦って着くと、一人しかいない。


――あれ、みんなは?


という言い方は私にもあります。

この場合、問いかけている相手はあくまで、そこにいる一人に対してであり、みんなに対して「みんな」と言っているのではありません。でも「みんな、夏休みなにしてる?」という呼びかけはみんなに対して為されています。それも特定の誰々たちというのではなく、名前も顔も知らない誰かにたいして。


私も「みんな」と呼びかけたい、と思いつつ、足が竦むような感じで文章を書いています。ぐるぐるといろいろ考えたあげく、けっきょく「みんな」だなんて気安く、人に呼び掛けることは出来ないな、と思うのです。なので「みんな」と呼びかけないブログを書こうと、そんな気分です。


しかし、よくよく考えて見るとそんなブログは変なのです。

 

そもそも、ブログの文章というのは、「みんな、夏休みなにしてる?」と呼びかけることなのではないのか。不特定多数にたいして「みんな」と呼びかける、気軽さであり、慣れ慣れしさなのではないか。無料で勝手に公開する、ということはそういうことなのではないか。そんな風に考えられるのではないでしょうか。

 

もしそうだとすれば、話は少しややこしくなります。出来ないあるいはしたくないと思っているにも関わらず、私は「みんな」と呼びかけていたのだということになるのです。

 


名前があるものないもの、絡み合ったそれらを、ほぐして分類しすっきりした気分へ、する自己批判
それより、みんな、今なにしてる?
良かったら一緒に外へ出て読書でもしよう。ばらばらの日にばらばらの場所でいいから。


 

読書/日記

その日

 

仕事。
仕事帰りに図書館へ行く。
関口涼子の詩集を借りる。
それと室井佑月の『熱帯植物園』と『世界一うつくしい植物園』というガイドブックを借りる。


『熱帯植物園』は枡野浩一が解説を書いていた。


そういえば『かんたん短歌の作り方』にも室井佑月の名前が出てくる。

 

『かんたん短歌の作り方』は漫画誌の連載で、マスノ短歌教の教祖である著者が読者からの投稿を募集するという形式になっている。励ましたり、厳しく駄目出ししたりする。そのやりとりが微笑ましいというかおかしい。いくつかの短歌を評価したのち、著者は以下のように書く。

 

 こうやって信者の歌を並べると、みんな、ハードに生きてるって感じだねえ。ガンバレなんて、教祖は言わない。言いたいのは「また歌を送ってください」ってことだけです。

 

すごく好きな一節だ。人生はたしかにハードだ。しかも著者は全員の短歌をとりあげてくれるわけではない。厳しいことも言う。ハードなうえに書いたものをとりあげてもらえないなんて、悲惨なことのようだけど、これ以上ない励ましに思える。

 

 


その日

 

休み。
植物園に行こうと思ったけど、なぜか動物園に行くことになってしまい、それはそれでいいかと思っていたら、すっぽかされて結局家で過ごす。いい天気だった。

 

室井佑月『熱帯植物園』、
『現代詩文庫 川崎洋』を読む。


川崎洋の詩は、とてもさわやかなものがあってそれが良かった。

 

〈 朝の/光の中を/駆けてくる少女/やわらかい髪の毛は/その日光に溶けてしまって/まぶしい〉
『朝』より

 

朝が好きだ。
世の中のセンチメタルな人たちのなかでは夜派の方が多いだろうから朝派きっと肩身が狭い。けれども夜の孤独は、なにせ真っ暗でなにも見えないのだから誰もが孤独だ。朝とか、もっといえば午後三時の孤独の方が明るいぶん寂しい。


これからは俺は午後三時派だ。

 

朝と言えば好きなのは、萩原朔太郎の『月に吠える』より

 

 五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふぉぅくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい。

 

読書/日記

その日



吉祥寺へ行く。 美味しそうなお店はどこも人がたくさんいて、やむなくみんみんの隣にあったベトナム料理のお店に入る。 バーバーバーを二人で三本いただいていい気分。 どこへ行こうあそこへ行こう、と予定はあったものの、いい気分なので、本屋「百年」をちろっとみて帰宅。 何冊か買い求める。 福永信『アクロバット前夜』。90°じゃない方を買えて嬉しく思う。


その日


『パブリックライフ学入門』を少し読む。 わりと実際的な話で建築学生向けなのかもしれないけど、面白い。

(‥‥)「パブリックスペース」とは、街路、小路、建物、広場、ボラードなど、人為的な環境を構成するすべてのものであると理解できます。また、「パブリックライフ」も広義に捉えるべきであり、学校の行き帰りやバルコニーで、座る、立つ、歩く、自転車に乗るなど、建物の間で起きるあらゆる活動のことです。


その日


日中「熱帯植物園」ということばにとらわれる。理由は不明。 ことばにとらわれる、とはなんだ。意味は不明。 しかし、「熱帯植物園」がとても良いものに感じている。良いものとして感じているのが、「熱帯植物園」という場所そのものについてなのか、「熱帯植物園」に関するなにかをどこかで見たり読んだり聞いたりしたことに関してなのか。 近いうちに行ければと思う。

『パブリックライフ学入門』、 『現代詩文庫 片桐ユヅル』を読む。 片桐ユヅルは教師をしていたらしい。そのときの出来事を詩に書いている。そのときの経験をもとにしたものが多い。

職員会議で一人でも多く賛成の手をあげさせるより/活字になって知られることの方がはるかにやさしい 「エピローグ」より。

読書/日記

その日

仕事。
辛い。
野村喜和夫『証言と抒情』を読む。



その日

休み。
良い天気。
良い天気の日に、良い天気だなと思うことくらいしか慰めがない。
『ひとり空間の都市論』を読む。



その日

仕事。
終日うんざりした気分で過ごす。
暑さのせいだろう。
昨年の夏は食欲が落ちた。



その日

仕事。
熱帯植物園に行きたいと思った。
生きるとは、熱帯植物園に行きたいと思うことだ。
マグローブやシャクナゲを見たいと思うことだ。

同じ夜に立ってる

「自信がなさすぎるんじゃないの?」
と言われた。
まあ、たしかにある面ではそうだ。と思った。
どうしてなんだろう、と訪ねた。
「ネガティヴすぎるんだよ」
と言う。


ネガティヴだから自信がないのか、自信がないからネガティヴなのか。わからないけど、関係はありそうだな、と思う。




僕はとても明晰な気分になった。べつにネガティヴだと言われても、自信がないと言われても、言われたところで改善されるわけでもない。けれども、同時に嬉しくも思った。人からそういう風に見られるということがわかるのは良いことだし、そもそも自分のことを見てほしい人に見られてると感じることは嬉しいことだ。


どうせなら、箸の持ち方がネガティヴだ、とか椅子から立ち上がるときの目の伏せ方が自信なさげだとか言われれば改善の余地もあるかもしれない。




僕は指摘した彼女にたいして、なるほどね、とか、そうなのかあ、とか言ったと思う。


正確には覚えていないけど動揺したりはしなかった。実は僕は知っていたのだ。自信なさげなこともネガティヴなことも知っていたのだ。


むしろ、あなたは横柄な人ね、とか不遜だね、とか言われた方がどきどきしてしまうし、してしまったこともある。




実際に自信がないのか、ネガティヴなのかはわからない。ある面ではそうだ。自信満々に振舞っても大丈夫な自信などはない。でも、自信なさそうに見られたり、ネガティヴに思われたりするだろうな、という自信はあるのだ。


そして、そのことを相手が慰めてくれるだろう、という自信もあるのだ。だから僕が感じた喜びは、相手からこう見られたいと思っていた見られ方をしたと感じたためだったのではないか。


その意味では僕はとても図々しい。


彼女はもしかしたらそのことに気づいたのかどうか。


「どう思う?」
と僕はしばらく後に彼にきいた。
「うーん、バレてるんじゃないか。そういうのってバレるよ」などと言う。


自分では取り繕っていると思っていても案外バレているということはよくある。けれど、彼女は気づいていなかったのではないか。駄目な行動をしている人とそれに対峙している人がいたとき、あるいはそれ以外の場合でも、一貫した優劣をつけた方がわかりやすい。あなたのズルい感情は、筒抜けだったのだ、となった方が教訓的だし、話のおさまりもいいように思う。


しかし、2013年4月2日に新宿の人のいない中華料理屋で酒を呑みつつ青菜の炒め物を食べていた僕と彼女の関係は、綱引きみたいにこっちが勝ってるこっちが負けてるというものではなかった。


物事はもっと、バラバラのものがバラバラのままそこにあり、ただたまたま同時にそこにいたということを根拠にひとまとまりのものにしてしまっているだけで、バラバラであることに変わりはないのではないのではないか。


「どうすればネガティブはなおるかな」
「さあ。別にネガティブでもいいんじゃないかな」
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ。私はそう思うね。全然悪いことじゃないし」


彼女は豆苗炒めを注文して、サワーの薄さを嘆きつつ、客の入りを伺い、空いてるでしょここ、いつも空いてるの、という。


相手が自分を見抜いていると思ってしまう不遜さもあるのだと思った。


自分のわかりやすい取り繕いを見抜けないほど、相手は自分を見てはいない。僕も同じだ。僕も相手のことを見たりしない。無関心とか冷たいとかいうことではない。関心があっても、歩み寄ろうとしても、まったく見当違いな幻影に向かってるということだ。


僕たちは、僕と彼女が見ている僕と彼女と僕が見ている彼女と四人いた。


店を出ると、さらに僕が思う今夜の理想的な僕と彼女が思う今夜の理想的な彼女が加わった。6人のうちの2人は手を取り合ってどこかへ消えていった。2人は駅へ向かった。1人は店の前に立っていて、残った1人はぼんやりと店の前に立っている。

読書/日記

その日

仕事。


電脳コイル』の磯光雄が新しいアニメの監督をするという。 『電脳コイル』はとても好きな作品だった。ぼくが中学生のときだった。当時は野球をやっていて、放送のある土曜日は6時まで練習があり、急いで家に帰ったのを覚えている。練習が終わった後もみんなとダラダラ話をしたりコンビニに寄ったりしていたけど、『電脳コイル』を観るためにそういったことをしなくなった。 当時は親がアニメに妙な偏見を持っていたというか、アニメを観ていると小馬鹿にしてきたもので、それが嫌だから実家のとなりにある祖母の家で観ていた。 当時なぜそんなに夢中になっていたのか、よくわからない。 それっきり見返したりしていない。

前に、『がきデカ』とか読んでそうだよね、と尊敬する人に言われたことがあり、つまりそれはぼくの元ネタとして『がきデカ』から影響を受けてそう、ということだと思うのだけど(いや、ホントはわりと明るいんです、ぼかぁ)、この前の休日にたまたまクレヨンしんちゃんの映画を観ていて、ああこれがおれの元ネタだ、となんとなく思った。

いったい自分がどういうものに影響されてきたか、ということは忘れがちで、自分史においてもいつのまにか偽史が出来上がっていることは良くあると思うのだけど、元ネタとして天沢退二郎だと思っていたものは自分にとって『電脳コイル』なのではないだろうか、ということもあるかもしれない。 いや、それすら偽史かもしれんよ。

そういえば、小谷野敦も千葉雅也も自分の年表を書けと言っていた。 ぼやぼやっとした自分に拘泥するより歴史の方に向かっていくことが必要だと思う。両者の意図することは、同じではないかもしれないが、年表をつくるというのもそうしたことの一つなんだろうか。


その日



仕事。

一日がとても長い。 にもかかわらず一生は短いというのはどういうことだろうか。 退屈でいい加減な一日でもずっと続けば良いのに、と思うのと一瞬で過ぎてほしいと思うのと、ともにある。

野村喜和夫『証言と抒情』において、石原吉郎ペシミストの勇気」などに登場する石原と一緒にシベリアに抑留されていた鹿野武一について、畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか』をひきつつ石原吉郎が鹿野武一の 行動に感じた高潔な倫理的理由はなかったことがうかがえると書く。
そして石原にとって鹿野は、〈他者というよりは分身、あるいは分身的他者ともいうべき存在だったのではあるまいか。〉とする。
〈このような傾向は、とりわけ青年期にはよく起こることだ。身近なひとりの他者を、自分に酷似した、しかも自分よりすぐれた存在とみなし、憧れや嫉妬の感情を抱きつつ、その者に同一化しようとする〉のだという。

分身的他者というのが何なのかいまいちよく理解できないけど、上記したような同一化をのぞむことはぼくにもある。対象にされる方からしたらいい迷惑だろうとも思う。身近な人ならなおさらだ。

読書/日記

その日



仕事。 大学の同級生が結婚するということで、飲み会に呼ばれる。 え、結婚式呼ばれてないけど。 いや、呼んだよ というから、確認するとたしかに呼ばれていてた。ぼくは常々、友達がいないとかほしいとか、そんなことばかり嘆いているけれど、悪いのは自分ではないか、と改めて思う。
それにしても、人生ずっと下り坂を歩んでいる身としては、昔の知り合いに会うというのは気が重い。これも悪いのは自分か。
南田由和『ひとり空間の都市論』をすこし読む。


その日



休み。

昨晩はいい飲み会だった。けれどもやはりすこし落ち込む。

駅から歩いて帰る。何度となく通った道、いつもは音楽を聴いていた。岡谷公二『郵便配達夫シュヴァル』のことが頭にあって、たまにはイヤホンを外して歩いてみようか、という気になる。

歩行は、夢想の揺かごだ。歩行の単調で、ゆるやかなリズムは、夢想を養い育てるのに適している。はじめての道を歩くのであれば、途中の風景の変化に心をうばわれることもあるだろうが、四六時中同じ道を歩くとなれば、もう眼は周囲には向かない。列車の揺れが眠りを誘い出すように、いつも変わらぬ歩行のリズムは、外界に興味を失った心の中に、おのずから夢想を誘い出す。日頃から夢想になじんでいるシュヴァルのような人間の場合はなおさらだ。歩行の一歩一歩の中から、夢想が芽を吹き、成長し、枝葉をつけ、のびひろがり、やがて深々と繁茂する。気がつくと、彼はもう夢想の森の中にいる。彼の心は、夢想によって完全に占められてしまっている。 岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』より



歩くことは、未知のものとの偶然の出会いを生むという考えがある。一方で単調な歩行というのもある。

新鮮で、観察者の目線で街を歩く。発見や出会いに満ちた能動的な歩行。そうではない、毎日くりかえされる退屈な歩行。 シュヴァルは、膨らませた夢想をただ夢想で終わらせず、長い年月をかけて巨きな理想宮を建ててしまう。



中学生のころ、友達がいなかったので登下校はひとりきりだった。ずっとそうだったわけではないのだけど、だいたいはひとりだったと思う。

そんなときはぼくも空想をめぐらせていた。たいしたものではない。前の晩に読んだ漫画ややったゲームの気に入った場面を頭の中で再現してみたり、二次的なストーリーを考えたりした。

ストーリーは日をまたいで続くこともあったし、さらに詳細な細部を決め込んでいくこともあった。誰にも話したことはないし、文章や絵にしたこともない。誰かにつたえたりする必要のないものだった。 ぼくの登下校のスピードはだんだんと速くなって、高校のときは自転車、大学は電車で通っていた。そのころになると、歩いていても音楽を聴いたりpodcastを聴いたりしていたので、あまりそのような空想はしなくなった。


ぼくは自分自身のそのような空想を慰めと呼んでいて、ある種の現実逃避なのだと思っている。

しかしシュヴァルの歩行と夢想ははるかに烈しい。現実逃避などではなく、夢想こそが現実だ。慰めより、よほど素晴らしい夢想。 力強く歩くこと。

郵便配達夫シュヴァルの理想宮

郵便配達夫シュヴァルの理想宮