悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

その日

仕事。
「空中の茱萸」(荒川洋治)を読む。
読んだそのばからもう忘れた。かといって読み返したりしない。いったいなにをしているのだろう。

詩人たちはたいへんむずかしい詩を書いていても内心は、「いつか理解されるもの」としてみる。だからだめなのです。現代詩は、「壁」の、浜田さんのような人を相手に、話をしていく。ヴァレリーの詩論を語る。朔太郎を語る。吉岡実を語る。それでなくてはならないのです。でも彼はそんな話を聞いてくれない。聞こうともしないでしょう。でも「話を聞いてもくれない」とは、なんとすばらしい、詩にとっての環境であるでしょう。夢のような、きれいな夜に入りましょう。
(完成交響曲

ふむふむと読むわけだけど、荒川洋治が詩の作者として、詩の世界に向けて書かれているような文章を良くも悪くも門外漢が、あまり得心するのもどうかと、思いもする。
「完成交響曲」は岡本さんと浜田さんのテレビでの対談を荒川さんが観ていろいろ思ったりするような詩なのだけど、対談そのものに対する荒川さんの考えと、荒川さんの詩に対する考えとが、どちらかがどちらかをダシにするようなものではなくて、二つのものがぶつかって別のものになっていくような広がりというか強さのようなものが……


その日

仕事。
仕事の休憩時間に スマホkindleで「世界の歴史22<ロシアの革命>」をちびちび、ほんとうにちびちびと読んでいる。この本は、1828年から始まっているので、1917年までは一世紀近くのあいだがある。だからぼくがどんなにちびちび読もうとも実際の出来事よりかははるかに速い。時代の大きな転換点のことだから、いろんな人がいろんなことをしているので、登場人物がとても多い。ちびちび読んでいてもちっとも覚えられない。

ロシアの革命への歴史は、インテリが大衆とどう接するかという試行錯誤の歴史で、たしか松尾匡さんの「新しい左翼入門」のなかで日本の戦前の左翼を、大衆に対する二種類の接し方に大別していたこと思い出したのだけど、どうだったか。メモをとっていたような気がするから見直そう。

その日

休み。
髪を切りに行った。美容室は苦手だ。人と喋ったあとは疲労を感じる。人、というよりぼくを客としてとても懇切丁寧に接する人と会うと疲れる。この人は客である自分に対してとても親切にしてくれるけど、本当はぼくみたいなショボいやつが客に来ても困るだろうし、そのことに気づいてるのにしれっと客のふりをしているわけにもいかないから、なるべく良い客のフリをしなければならない、などと思う。たぶん見当はずれな想像を巡らせているのだろうけど、その場に立つと背中が汗だらけになって余裕なんてない。美容室とか洋服屋とか、あと後輩とかも苦手だ。

ロシア革命はいよいよ二月革命で、ブルジョワ勢力と、プロレタリア勢力とで権力の掌握しあいが行われている。
松尾匡さんの本についてはメモなどなかった。こういうことがあるのでメモはとるべきだ。

空中の茱萸

空中の茱萸