悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

日常生活の冒険 (新潮文庫)

その日

仕事。
仕事が終わってから、都内に遊びに出掛けた。とはいってもなにかをしたわけではなく、ただラーメンを食べて、喫茶店で本を読んだ。週末の街はたくさん人がいた。なかには自分みたいによくわからない感情を抱えた人もいたのだろうけど、見つけることはできなかった。いつかお前の肩をつかんでやるから、そのときは一緒に駅前で火を焚いて裸躍りをしてやろう。

喫茶店では大江健三郎の「日常生活の冒険」を読んだ。アルコールや太ること、眼の負傷、さらには脅迫者などその後も繰り返し書かれるモチーフが出てくる。その後も、といま書いたけどこの本が大江健三郎バイオグラフィーのなかで実はどこに位置付けられるのかわからない。「個人的な体験」より前だと想像したけどはたしてどうか。後できちんと調べておこう、と書きながら思った。(何も調べてから書けばいいのに、いままさに書いている風を装うのはインチキだしこのかっこ書きも同じことだよな。。。※無限に繰り返す)。

犀吉にはやはりギー兄さんや伊丹十三の影を見てしまう。犀吉のガールフレンドが犀吉との関係の悲劇的な結末が決定的になったように思える場面で主人公が彼女に求婚し、僕はガールフレンドを犀吉は妹のようだと形容していたことを思う。しかし、大江健三郎本人をモデルにしたような主人公にはきちんと婚約者がいて、その辺りの変な感じは大江健三郎の好きなところだ。

その日

休み。暖かい日。
いとこの子どもと遊ぶ。
図書館に予約しておいた中江俊夫の「語彙集」という本が届いてたので受け取りにいく。あまりの大きさにびっくりした。この本は第二回の高見順賞を受賞しているのだけど次々回に受賞しているのが谷川俊太郎の「定義」で似たようなタイトルだなと思った。中身は知らない。そういえば大江健三郎にも「定義集」という本がある。いや、逆で、大江健三郎の「定義集」を念頭においていたから「語彙集」と「定義」を似ていると思ったのかもしれない。
「ロシアの革命」を読み終える。
井坂洋子「ことばはホウキ星」少し読む。