悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

その日


仕事。
休日出勤だった。
午前中だけの予定だったけど、長引いて午後までになったので、昼休憩中に図書館へ行って本を借りる。
仕事の帰りに、別の図書館へ行ってまた借りる。
倉下忠憲さんの『「本」を読むことについて』が面白かったので『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』を借りてみたけど、パラパラ見た感じでは同じような内容だろうか。
帰宅後、吉原幸子『昼顔』を読む。あまりファローしていない詩人だったけど、良い。


その日


仕事。
来週いっぱいまで忙しそうだ。げんなり。
昼休みにのろのろ読んでいた後藤明生の「蜂アカデミーへの報告」を読み終える。
自分が読みながら気づいたことも、きちんと意識して書いていることですよ、と読み進めるうちに種明かしをされるようで、不思議な心地よさ。昼休みには今後も後藤明生を継続して読んでいこうと思う。
帰宅後は、五十嵐太郎『現代建築に関する16章』と吉原幸子『オンディーヌ』を少しづつ。『現代建築に関する16章』は前々から気になっていたのだけど、面白い。建築への興味もまた湧いてくるだろうか。


その日


仕事。
渋谷に遊びにいく。小洒落たスペインバルで一杯。カウンターだけタバコが吸えるというので、カウンターで並んでのむ。お店に入ったときにはたくさん人がいて、カウンターに座ると、テーブル席には背を向けることになるのだけど、帰ろうとして立ち上がると、賑やかだったテーブル席にぜんぜん人がいなくなっていて驚いた。
『現代建築に関する16章』をすこし読む。ひさびさに付箋を貼って読んでいたら、付箋だらけになってしまって恥ずかしいようだった。


その日


休み。
昔は嘘つきだったためエイプリルフールになると、あいつは嘘をつくぞ、とみんなが妙に身構えたので4月1日だけは嘘をつかないことにしていた。今は、季節に敏感でいたいと思うことはあるけれど、曜日にはあまり関心はないようだ。
図書館に行って、貞久秀紀と近藤洋太の本を借りる。
『現代建築の‥‥』を読み終える。モダニズムと、その反動。ポストモダンなどの反動はとうぜんモダンよりも新しいものとして現れるわけだけど、アイデア自体はモダン以前にあったり、アイデア自体がモダン以前にあったということがモダンを経たから可視化されるということなど、建築史を専門とするらしい人の矜持を感じるような語りで面白かった。
そのほかには『オンディーヌ』をすこしと、現代詩手帖2月号より阿部嘉昭『文からの偏差』を読む。井坂洋子川田絢音について論じられており、どちらも、特に川田さんは、最近いろいろ読んで面白いと思っていたので興味深かった。川田絢音の詩を読んで静けさみたいなことを感じていたのだけど、それを『文からの偏差』では、「減喩」という用語を用いて、じゅうぶんに説明されていない詩を、補填しつつ読むと遅延がうまれ意識内音読に静謐が生じているというようなことを書いていて得心。導入部分など門外漢には難しかったけど、少し納得できる部分があると嬉しい。というわけで、川田絢音の『球状の種子』もすこし読む。