悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

 

その日

 

仕事。
仕事帰りに、図書館へ行ってそのままご飯を食べに行く。カレーを食べた。
インドカレー
食べ物にあまりこだわりがあるほうではないけれど、食べ物の写真が載っている本はけっこう好きだ。煮卵の作り方みたいなタイトルの小さい本が本屋さんにあって買おうか迷った。

 

 

 

その日

 

休み。
先月の出費がひどかったので今月はあまり出かけないことにしている。
本を読んだり、youtubeで動画をみているうちにあっという間に1日は終わってしまう。
現代詩文庫『谷川俊太郎詩集』と井坂洋子『地に堕ちれば済む』を読む。

現実というのは、言葉ほどは整然としていない。たとえば、舗道ひとつとっても、その表面の凸凹とか、端からひしゃげた雑草がはえていたり、ガソリンがこぼれ落ちたのか黒ずんでいる部分があったり、わけもわからない吐瀉物がこびりついていたり、よく見れば見るほど、とりとめもなく汚れ、汚れているという言葉では言いあらわせぬ蓄積された年月を感じさせられる。「ぼたん」(井坂洋子

 

 

 

その日

 

仕事。
明日は仕事が早いので早く寝なくてはならない。
現代詩文庫『白石かずこ詩集』を読む。
ケンカしていた友人にlineを送ったけど返事がこなかった。こんなことばかりを繰り返してきた人生だったけど、なにも学ばんでいない。認めることも変えることもできないまま歳をとってしまった。

人生は、いろんなことを解決したり、腑に落ちたり、折り合いをつけていくことができるのだと思っているけど、きっと、なにも解決されず腑に落ちることも折り合いをつけることもできないまま抱えていくこともあるんだろう。とても辛いことだろうけども、とても辛い人生というのもあるのだ。

いつか死ぬとき今まで抱えた全ての後悔を思い出すことがなかったとしたら、それは幸せだろうか。

そうは思わない。

 

 


その日

 

仕事。
いろいろ仕事を抱えてとても辛い。
井坂洋子『詩はあなたの隣いる』
現代詩文庫『白石かずこ詩集』
少しずつ読む。



その日

 

 

休み。
いとこの子が来て遊ぶ。
いとこの子はしょっちゅう来る。しかも連れて来るのは、わたしの叔母さんなのでいとこ夫婦ではない。いとこ夫婦は何をしてるんだろうか。日曜日にこどもと遊ぶのはとても幸福なことに思われるけど、そういうことばかりでもないのかもしれない。

ところで、この日記には主に読んだ本を中心に毎日の記録としている。読み返してみると、まるで日々の間に繋がりがなくて驚く。読んだこと同士の関連がまったくないように感じる。関連がなくてはいけないわけではないのだけど、その日とその日がまったく別々に存在しているようだ。わたしは読んだ本についてほとんど忘れてしまうのだけど、読んだばかりの本は忘れ具合でいえば、いちばん忘れていない状態にある。この理屈で言えば
昨日読んだ本に自覚する限りでは1番影響を受けていることになるだろう。実際そうで、今日読むことは昨日読んだことに濃く影響を受けている。しかし、そのことが日記を読み返してもわからないとなると、実は影響を受けていないということなのか、それとも書き残すことが出来なかったのかということになるだろうけど、どうだろう。

本日は、現代詩文庫『白石かずこ詩集』と穂村弘『きっとあの人は眠っているんだの』を読んだ。

昨日の晩、お風呂でスガシカオを聴いていてアストライドという曲がとても良かった。語りみたいだけどリズムにのってるゆらゆらした歌い方がとてもカッコいい。同曲が収録されているアルバムのジャケットはクレーンゲームのわきにスガシカオが座っている写真なのだけど、スガシカオは隅っこに写っていてすこし不思議な感じ。このジャケットはインベカヲリという方が撮ったもので、『きっとあの人は‥‥』のなかにインベカヲリの写真集に触れた章があり気になってネット検索したところ、そのことを知った。