悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

そのひ


仕事。
石川初『ランドスケールブック』
岡田隆彦詩集』を少しずつ読む。

『ランドスケールブック』というタイトルは、もちろんランドスケープから来ているのだけど、地形の話から始まり、庭の話へとじょじょに身体スケールに近づきながら進んでいく。図版が豊富で手軽に楽しい。手元に持っておきたい一冊。

読んでいて、イームズの映像作品を思い出した。ピクニックの様子を上から写した構図の映像が、宇宙空間までズームアウトしたり細胞までズームインする映像。


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石川初 | ランドスケール・ブック ― 地上へのまなざし (現代建築家コンセプト・シリーズ)

石川初 | ランドスケール・ブック ― 地上へのまなざし (現代建築家コンセプト・シリーズ)


その日


休み。
午前中は雨が降っていた。天気予報ではやむとのことだったけど、とてもじゃないけどやまなそうだなと思い家の中で過ごす。
ぼんやり本のページを目で追っていると、光を感じていると晴れていた。
上手く言えないけれど、屋内にいても天気がかわったことを光の感覚で理解する瞬間みたいのがあって、とても好き。



つながっているのかつながっていないのか二つの引用。

フランスの気鋭の美術評論家ピエール・レスタニー氏は、今日のわれわれにとって自然とは、感傷的なものでも牧歌的なものでもなく、工業生産化され、商品の氾濫している社会の都会のそれであるといったいい方で、早くから自然の新しい解釈を提唱しており、また大岡氏(信のこと)も、産出力自身としての自然、動態としての自然を二十世紀の現実だとみなし、そのような現実は具象的であるよりは想像的な性質のものであるといっている。(『芸術と自然』)
乱暴ないい方をすれば、自然は環境とほとんど重なりあってきつつある。ほんらい環境は、自然を概念的に、人間化してとらえなおしたもののことだったと思われるが、じつは概念と事実現象がまざりあっているのだ。
『人口の意識と旅の感覚』岡田隆彦

もうひとつは、青木淳『原っぱと遊園地』より、ある小学校でについて、

単純な論理でつくられた、狭隘な敷地の都市部に建てられている、かつてどこにであった建物である。校庭を囲んでコの字型に建てられた三階建ての片廊下。敷地の形状と、方位と、採光条件と、求められた教室の大きさと数と、質素さな予算と、法規制に対する最適解として割り出されただけの小学校である。

と説明し、批判もあるだろうとした上で、

その風景は、ぼくに、自然を思い出させる。野原に生える雑草は、偶然にそこに着床した種子が、気候と水の状況と合ったときに、種子にもともと内臓されているアルゴリズム(計算手順)に従って、発芽し、茎を伸ばし、茎を分岐させ、葉をつけ、花を咲かせる。種子に内蔵されている固定したアルゴリズムが周辺環境というさまざまなパラメータ(媒介変数)を代入させながら、成長し野原をつくる。その論理のなかには、それを見る人がどう思うかという視点が、もちろん、含まれていない。機能主義の美点は、人間ができる自然のつくれられ方のひとつの模倣だったところだ。
でも、機能主義建築の残念なところは、それが想定された使われ方で実際に使われてしまうところだ。


まったく別の興味から読んでいた二冊の本に繋がりを見つけると嬉しい。
あるいは、とてもぼんやりと思った。岡田隆彦の詩は東京について都市について、書かれているものがあるように思う。一方、青木淳の本も建築についての本だ。もう少し目を凝らせば、二冊の本はもっと激しく交わるかもしれないし、そうすれば、別の興味も湧くかもしれない。