悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書/日記

その日




仕事。 とても暑い。 朝顔は元気そうだ。 しかし、朝顔は軒下に植えられていて、石川初『ランドスケールブック』によると、壁に囲われておらず、日が当たる場所であっても、雨が当たらない軒下のような空間は屋外とは言えないというようなことが書いてあった。
野村喜和夫『証言と抒情』を少し読む。



その日




休み。 駒込の青いカバへ行った。 何冊か購入する。 『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』を読んだ。 『抒情と証言』を少し読む。



その日




仕事。 哲人ソクラテスは、コリンチャンスの地に民主主義をもたらしたという。統制されたスタイルをファシズムと一蹴し、その蹴りだした足がもたらすドリブルの自由を謳った。


いつかネットでそのような記事を読んだ。


日大のアメフト部の話をみてそのことを思い出した。


スポーツにおける反則というのがある。 ソクラテスの自由は、反則と紙一重のものとしてあると思う。 ルールという縛りのなかで繰り返される身悶えが生み出す一瞬の輝きにぼくはスポーツの凄さを思うのだ。身悶えが良い結果とつながるか悪い結果とつながるかは誰にもわからない。


もちろん、反則を偶然の結果として擁護するわけではない。内面の話などそもそもしていない。ルールの中でする身悶えという意味では、あり得ないようなスーパープレーと反則とは裏表ではないか、と思う。


スポーツマンシップということばもある。これはスポーツ選手の人間宣言かもしれない。


選手宣誓とは。


今のメジャーなスポーツのをみるとき、経済のことを頭に浮かべずにはいられないし、国家とか、人間にまつわる様々なものと密接に結びついている、にもかかわらず一瞬の輝きをどうしたって見たいと思ってしまう。それは僕に人間的なものとはまったく別の価値を予感させてくれるのだ。 その意味で、日大のアメフト部の反則はあまりにも人間的な反則にみえた。