悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書日記

2018/10/05


仕事。朝から曇っていて昼過ぎから雨が降る。粒の細かい、逃げようのない雨だった。


多和田葉子『文字移植』を少し読む。


これも言わなくてよかったと思った時にはもう遅かった 。わたしは何も話したいことがないと言葉数が増えて無駄なことばかり言ってしまう癖があった。


ブログも書かなくていいことばかり書いている。黙っていれればそれでいいのだけど、無駄なことばかり言ったり書いたりしてしまうことが問題だ。


もっと、石を拾ったことや、その石を運んだこと、殺した虫を土に埋めたこと、穴を堀って虫をつぎつぎ放りこんでいると埋めるまえに蟻がたかったことを書いたり話したりするにはどうしたらいいのだろう。なんちゃって。


読んだのは、「かかとを失くして」と「三人関係」とが収録されている講談社文芸文庫のもので、いずれも妙な理屈が楽しい。「かかとを失くして」と「三人関係」を読んだときも似たようなことを書いた気がするけど、文章にかぎっていえば似たような楽しさがある。

 


どうやらわたしは喉が渇いているらしかった 。空気が乾燥しているために体を動かさなくてもこの島ではすぐに喉が渇いてしまう 。島そのものが乾燥してしまっているらしい 。それというのもバナナ園が多量の水を必要とするからで人々が機械で無理に地下水を汲み上げてはバナナ園に撒いているうちに島の土壌は乾き切ってしまったのだと内科医がわたしに説明してくれたことがある 。だからと言ってバナナの輸出をやめてしまうのは外交的にも経済的にも不可能だという意見が常識として通っていた 。内科医自身もそう信じているようだったけれどもわたしはそういう意見はなんだか経済援助をやめたら発展途上国の人たちはすぐに飢え死にしてしまうという意見と同じで全然信用できなかった 。


〈それというのも〉から変な感じで、その後まともなことを言っているようだけど変な理屈の上に載っているので逆にますます変だ。理屈の上に、というのは変かもしれない。前の文章が土台となって次の文章があるというわけではない。まっすぐ進んでいると思ったら少しずつ曲がっている、というイメージの方が合っているかもしれないと、思ったけど、文章のイメージというのも変だ。イメージもなにも引用した通りに書いてあったのです。