悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書日記

2018/10/16


仕事の辛さを感じる一日。
帰宅後、今村夏子『こちらあみ子』を読む。
とても良い。
三人称だけど、あみ子にとても近い視点で書かれている。あみ子が理解していないことを読み手はきっと想像することができる。けれども、文章では、あみ子が理解していないのと同じように多くのことがあいまいなようにも思う。そのバランスが、あみ子の愛らしさとともに距離のある温かみを感じる理由かもしれない。

あの日の夕方から四ヶ月が経って、気づけば校庭の蛇口から出る水がよく冷えていておいしい。


季節感を表すのにこうていから出る水というのはちょっと独特な感じ。不思議。


2018/10/18


前日は、性と欲望の悪夢に襲われて、読書捗らず。
本日、休み。一日家にいる。図書館で何冊か借りる。


今村夏子『こちらあみ子』、井坂洋子『マーマーレード・デイズ』を読み終える。若田部昌澄/栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』を少し読む。
今村夏子『こちらあみ子』は「ピクニック」もとても良かった。


井坂洋子『マーマーレード・デイズ』も良かった。書いてあることについて、そうだよなあ、という気分になる。
「朝」という一編。散文詩。〈また私のいちばんいやな時間がやってきた。さっきまで眠っているようだったのに、早起きのヒヨドリの鳴き声で、こちらまで起こされてしまったのだ。〉とはじまる。仕事へ行くため電車に乗るまでが語られる。

 

いつもだったら、もう少し眠っておこうと毛布をかぶるのだけれど、今日はそんな気にもなれず、仕方ないからお湯を沸かし、紅茶をいれる。これが休日の朝だったらどんなにいいだろう。朝のもうろうの気に包まれて、ただ五感ばかりが一日の始まりのほうを向き、うまれたての触手をのばしているーー。でも、ふだんの日の朝は、最初っからそんなふくらみが奪われている。


共感するという意味での良さ。

 


仕事の日の朝はたいていうんざりした気持ちになる。ひどいときは絶望的で、すべてのことに後悔しながらベッドから這い出す。わりかし調子の良いときは、感情が無で淡々と朝の必要事項をこなせるとき。
世の中には、もっと希望に満ちた朝をむかえる人もいるのだろうか。活力にあふれて「がんばるぞっ」とちいさい「っ」が入るような、弾むような元気いっぱい。せめて休みの日くらいはそんな風に過ごしたいと思うのだけど、いつも寝すぎてしまう。


朝は嫌な気持ちなって仕方がないのだけど、ほんとうは朝のほうが好き。夜になっても遊びつづけた人たちとともに消えてなくなった世のなかで、陽の光を浴びたりしたらきっと良いと思う。

 

 

今夜俺は歩いて帰れるだけの酒を飲み/そして潰れたfriendsを跨いで振り返る/片側だけlightが灯るclubの朝方のノリを遠くから眺める

C.O.S.A×KID FRESINO『LOVE』


日本語ラップを聴いていると「やることやってく」系の詞というのがあることに気づく。ストイックに研鑽していくような。このフレーズは、もっとやわらかい雰囲気があって好き。

 

 


2018/10/19


仕事。
本など読まず寝た、のだろう。


 
(このブログは実際の日記に少し手を加えて公開しているのだけど、なんだか、元の日記の「わたし」とブログの「わたし」のあいだにどんどん差があらわれてきたように思う

わたしとは何かと考えても仕方がないとはいえ、もはや別人のように思える。)