メロウな日々への追憶と停滞
2018/11/06
三木卓『K』を読む。
語り手である〈ぼく〉と妻であるKとの数々の出来事が書かれる。思い出される出来事の最中で〈ぼく〉が思ったことと、語っている時点での思いとのバランスがとても好み。過去の出来事を書きつつ、その時のKだけでなく〈ぼく〉にたいする解釈も生まれているようだし、その解釈がすっきりと断定してしまうものでないことがとても良い。微妙なことを書くうえでの正しい姿に思える。これだけすっきりとやさしいことばで微妙なことを微妙なまま、適切な距離感をたもった一人称の素晴らしいこと。
Kは東北から出てくる。
勉強に励み東京女子大に入学するのだけど、なかなかうまくいかない。
「わたし、卒業式のとき、大失敗したの。全員着物姿だったのに、わたしだけドレスだった。気づいたらそうだったの。とてもみじめな思いをしたので、今は卒業写真を見るものいや」
「そりゃまた、どうして? 仲間うちのはなしで見当がつきそうなものじゃないか」
「そんな。うまくいかなったのよ」
大学生のとき
わたしはちっとも友だちがいなくて、街をぶらぶら歩いたり(ひとりで「ふらっと」お店に入ることもできないくらい惨めな気分だったし自意識過剰だったので、文字通りぶらぶら歩いていた。つまり自意識とは濁点なのであり、促音はそこからの軽やかな跳躍だ!)図書館で一冊も読むことなく返すことになる本をカバンにぱんぱんにいれて持ち帰ったりしていたのだけど、それでもテスト前になれば誰かノートを借りて生協わきにあるコピー機に押し込んでいた。
知り合いの場合
彼はまじめに大学の授業にでていて、あるとき夜遅くまで電話をしていたときに、明日も早いから寝なきゃ、というからサボっちゃえばいいのにと返すと、テストがわからなくなっちゃうという。そしたら誰かにノートを借りればいいよとわたしは言った。誰が貸してくれるの、なんて返事がくるとは思わなかった。
ノートの行方
あるいは、みんなが授業をサボって、どこかへ行ってしまった教室でせっせとノートをとってはテスト前になると誰もにそれを貸している人がいた。べつに頼まれてそんなことをしていたわけではなかったのだろうけど、いつのまにか彼はテスト前にノートを貸してくれる人として認識されていたし、「ノート貸してよ」とだけ声をかけられる学生生活とそれすらも声をかけられない学生生活とどちらがいいかなんて簡単にいうことはできない。
2018/11/08
メカス『リトアニアへの旅の追憶』を観に行く。近頃めっきり映画を観る気力がなくなっていたのだけど、面白かった。以前にもソフトで観ているはずなのに、第3部の記憶がさっぱりなかった。でも、一番好きなのは前に観たときと一緒で鎌を振り回しているシーン。とても楽しそう。
映像はぶつぶつとしていて、ブレていたり急に速くなったりと滑らかではない。思い出ということなのだろうか、と思う。思い出を頭に思い浮かべるときはこんな感じのような気もする。映像は思い出というより記録と言ったほうがすっきりするだろうから変な話だ。でも、思い出だけでつくられた現実といえばいいか、というようなセリフがあったし、思い出ということについて考えてしまう。この映画の場合、思い出というのは、旅つまり映像よりも以前にあるはずだ。映像が思い出のフリをするとき、想起されるのは映像よりも以前の出来事としてある思い出なんだろう。
にもかかわらず、先に書いた、鎌を振りましているシーンや、いい大人になった親戚たちが古い農具などで遊んでいるシーンの映像があんまりぶつぶつしていないのは、単純に動き回っている人たちが面白いからだろうか、と思うと嬉しくなる。
2018/11/09
日記を書く気力がない。
『松尾潔のメロウな日々』をすこし読む。
Kindleで大島弓子のまんがをたくさん買ってしまう。どうせ読まないのに、と細く切った紙に書いておでこに貼ってみる。
2018/11/10
日記を書く気力がないので、人の書いた日記を少し読む。武田百合子『富士日記 上』。『更級日記』。
『更科日記』は角川文庫から出ているビギナーズ・クラシックというシリーズの一冊なのだけど、kindleストアでセールのときに買った。章ごとに訳文、原文、解説という順番で書かれていて、教養のないわたしでも楽しいし、嬉しい。kindleアプリは仕事中にコソコソ本を読むのに最適なので、使っているのだけど、ぱらぱら読むという本の楽しみのうちの一つについてはまったく向かない。
(ここ数日はあまり天気のことなど書いていない。本もあまり読んでいないし、何をしていたのかわからない。もっと見たものや起こったこと天気のことを書きたい。)
2018/11/11
休み。日記を書くのも本を読むのもめんどう。人と会って一緒にあるいたりしたい。『松尾潔のメロウな日々』、斎藤環『生き延びるためのラカン』を少しずつ読む。
『松尾潔のメロウな日々』はR&Bのライターでいまは音楽プロデューサーをしている著者が90年代の活動を振り返る形で書かれたエッセイが収録されている。R&Bはぜんぜんわからないのだけど、楽しい。過去を振り返る、その振り返り方のひとつの素晴らしい形だと思う。ときおり差し込まれる甘い文言にうっとりするのも悪くないはず。
(なにをするにもむなしい)
(わたしはたった数日前の日記でも、読み返してみると書かれた「わたし」との距離を感じるわけだけど、それはわたしやわたしの出来事をじゅうぶんに書き得なかったなどと言うことではなく、「わたし」への羨望としてある。)