悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

期待と退屈の読書日記

2018/11/18

1

ホテルニューオータニへ行く。もちろん縁のない場所なので新鮮。庭園もうろうろする。低木の刈り込みが角までピッシリ綺麗で、どのくらいの時間をかけるのだろう。松はむしりすぎなんじゃないだろうかなどと思ってしまったが、そういうものなのだろうか。もう少ししたらきっと紅葉が綺麗。
日曜日だったためか、結婚式をしている人たちがいて、大きい会場が外から見えたのだけど、100人くらいいそうな感じで、元気な人は元気なのだ。檸檬くらい置い帰ってもいいんじゃないかという気分。

2

文章を書くことは砂漠の行軍だろう。跳躍はありえない。それでも前に進んでいる。少なくとも、前に進んでいる気ではあるし、前に進むときの動きをしている自覚はある。

3

カルヴィーノレ・コスミコミケ』はQfwfq老人なる奇妙なホラ吹きの語りが楽しい短編集。「水に生きる叔父」は海から生物が陸にあがっていくなか、水のなかで生きていくことを貫く〈叔父さん〉について書かれたもの。

お叔父さんの意見によれば、水の外に現れている陸地というものは、限られた現象に過ぎないものなのだった。それは、現れたのとちょうど同じように、また姿を消してしまうかもしれないし、また、いずれにせよ、絶えざる変化ーー噴火、氷河、地震、褶曲、またさらに気候や植生の変動といったーーを蒙らずにはいられないものなのだった。しかも、そういったことのただ中でのわれわれの生活といえば、不断の変貌を余儀なくされることであろうし、そのさいには全住民の絶滅さえ可能であり、生き永らえることのできるものは、ただ自己の生存基盤をそんなふうに変えることのできるものだけということになり、つまりは、生きていることの楽しかった理由でさえも、完全に覆され、忘れ去られてしまうようになるだろう‥‥‥。

おかしな意見なのだけど、わかる気もする。わたしの遺伝子はもうすっかり水のなかの生活というものを忘れてしまっているとはいえ、陸の上での変化はめまぐるしいし危険がいっぱいなのはたしかだ。
引用から続けてQfwfq老人は以下のように語る。

わしら陸生まれの連中がそのなかで育てられて来た楽観論と、これはまた、まっこうから対立する未来図というわけで、わしは猛烈に抗議しながら、これに反論したさ。

〈楽観論〉で妙な納得を感じたというか、笑ってしまう。はるか大昔の楽観論者の末裔なのだわれわれは。たしかに、そうでなければわざわざ明日を向けていそいそ会社に行ったりしない。


2018/11/19

職場では暖房がかかっていた。寒くなってきた。寒いほうが空気が清潔な感じがするのはなぜだろう。湿気はまとわりつくものだから、乾燥する季節は湿度がない季節として空間を満たすものの不在を思い、隔たりに気づいてしまうのかもしれない。
大越愛子『フェミニズム入門』を読む。

 


2018/11/20

1

寒い季節になってきたのでどうかとも思うけど、内輪でわちゃわちゃしたい。
仲間内でしか通用しない秘密のことばを囁き合ってにやにやしたり、ありもしない最先端について嘯きたい。

2

ビリー・ザ・キッドの息子たちは車で走っていて猫や、たぬきが道端で死んでいたことに気づくとき、もしもあれが人だったらどうするだろうかと思う。

3

宇宙とは誰かが手をつけないで終わってしまったものの残骸なのではないか。

4

晴れていた。植木屋が産業道路の街路樹を剪定していた。銀杏の木は、葉っぱが落ちるまえにすべて切り落とすことになっているらしく、まだ黄色くならないうちに丸裸だ。菊地成孔の粋な夜電波で、cmの前口上?の「付け合わせポテトの大人の食べ方編」で、ある日突然大人になったと語る〈僕〉は〈明治通りを昼の一時に走る時、歩いている人一人一人の人生を思い描いてしまいハンドルから片手を離して涙を拭ったりしないようになった〉と言うのだけど、大人になったつもりでも片手を離して涙を拭ってしまうわたしは子どもなのかもしれない。

5

荒川洋治『心理』を読み終える。近頃はいい加減な読書でなんの感想もない。一回読んでほっぽり出す。あるいは図書館へ返却(わたしの短い人生で他人に誇れることがあるとすれば、図書館の返却期限を守ることだけだ)。人生、死ぬまでの暇つぶしなどと嘯くつもりはないけれど、永遠に退屈と期待の季節から抜け出せない幼稚なわたしたちとしては、コンビニのコーヒーよりも手軽に本を読みあさるのは、間違っていないのかもしれない。退屈、あるいはかなしみ。

 


2018/11/22

時間を無駄にしてしまったような気がした一日。
休みの前日は、明日は休みだから明日やればいいやという気分で、いちばん素敵な休み前の夜をなにもせずに過ごしてしまいユーウツな気分になる。
言ってしまえばぜんぶ無駄なのだから、気に病むことないよとどこかここからは見えない月の影から誰か言ってやしないだろうかと窓を開けて耳をすませてみるものの、もしホントにそんな声が聞こえたらどうしようと不安になる。そのような不安はいつもわりと近いところにいる。
あまり多くを求めず、本など少し読んで寝る。