悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

おとずれる危機は隕石ばかりとは限らない日記

2018/11/25

約3週間ぶりの読書会。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』を2ヶ月近くやっている。こんな長く時間をかける必要があるのだろうかという疑問も浮かぶけど、読書なんてきっと遅ければ遅いほどいいだろう。


休みの日だったので、美術館でも行こうかないい天気だしと思ったものの、いざ家から出てみるとめんどうな気分になってしまい無駄に本を何冊も買って後悔する。これなら文学フリマでも行ったほうがよかったかもしれないほしい本だってあったのだし。本屋を何件かハシゴするあいだに喫茶店で本を読んだりして充実しているといえばそうともいえる一日ではあったわけで、


休みの日だったので、家のなかにこもっている午後2時。家の窓から晴れた空がみえるたびに、こんなにいい天気なのに外に出ないなんて間違っているという気分になるのに、いざ外に出てみると天気のことなどすっかり忘れてしまいどんな天気だったのか思い出せないのは背の高い建物が並ぶ街にいってしまったせいばかりとは思えない。家にこもっている午後2時にわたしはたいていソファに寝転んでいるのであって、街を歩く午後2時には前を見えているという体勢によって視線がどこにあるのかという話なのかも、


素晴らしいものを素晴らしいと感じたいと思いつつ素晴らしいものに触れて素晴らしいと感じることと、うっかり素晴らしいものに触れて素晴らしいものと感じることのあいだにはずいぶんと差があるように思う。もちろん後者のほうがきっと素晴らしい。
なんというか、映画の登場人物はフレームの存在しない世界に住んでいるわけだけど、映画を観る人たちはフレームを意識するわけで、ふだんの生活のなかでもこのフレームのようなものをたえず意識してしまう物の見方というのは、

 


2018/11/26

今日はおそらく曇っていたのではないだろうか。気温が高くなるという予報を見ていたけれど、ふと気づくと曇っていた。夕方だった。


みんな好き勝手なことばっかり言ったってせいぜい、自分が人より世の中をちゃんと見れているのだ、というていどのことを示したいだけなんじゃないかなと訝ってしまう。そんな示威は、誰が正しくて誰が間違っているのかということなどよりはるかにくだらないんじゃないかしら。
わたしはわたしでくだらないとはいえ、どちらかと言えばだらしない。なのでもういっそとことんだらしなくてしまった方が良いのかもしれないと思うのは、たんに思いつきというだけではなくて幾度も自身を律するための方法を試みたにもかかわらずこれといった効果を上げず、型枠のなかに上手く自分自身を押し込んでみたところでごくわずかな隙間からゼリーみたいにどろどろと型枠からはみ出してしまう自分に辟易したせいなのだ。


2018/11/27

見ず知らずの愛おしいカップルの会話に耳をすます。一時間以上、聞き耳を立てていたんじゃないかと思う。
晴れ。ここ何日かのうちでは暖かい日だった。晩御飯はすき焼きを食べた。ご馳走というのはもちろん人によって違うのだろうけど、わたしにとってのご馳走はすき焼きだ。


2018/11/28

晴れ。どんなことを考えながら一日を過ごしたのだろう。
ただ好きなものを好きというためだけの文法を授けてほしい。