悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

暖かい公園で本など読みたい

市街戦の跡地を猫が歩いていた。わたしはそのことを人から聞かされて、市街戦の跡地とはどのようなところだろうかと思った。動画で見たことのあるヨーロッパの景色や幕末の様子が浮かんだ。それらの場所を歩く猫の姿はふさわしいようにもふさわしくないようにも描くことができた。 


酔っぱらった人たちが南池袋公園にふらふらと近寄っていく。すでに門は閉まっていた。しばらく話し合ったり門に手をかけたりしてやがて立ち去った。わたしは窓を開けてその光景を眺めていた。夜の風が部屋のなかまで吹いた。
「日本語が不自由なんですよ、わたし」とわたしに跡地の猫の話をした人がいった。とくに不自由だとは感じなかった。頻繁に海外旅行に行っていて日本語を忘れてしまうとかそういうことなのだと思った。市街戦の跡地がどうのこうのというのも海外に行ったという話からはじまったのではなかったか。窓をしめると、日本語を忘れてしまうほど海外に言っているのだと人に語る人にふさわしいような濃い香りが部屋に漂っていた。


ふと夜の南池袋公園に猫は入れるのだろうかと思った。
東池袋公園は素晴らしい公園だ。夏に出たBRUTUSの公園特集にそのように書かれている。

〈駅前から続くグリーン大通りを抜け、公園に足を踏み入れると、そこだけは、ぽっかり、空が広がっている。空の下には、青々とした芝生の広場。傍らには大きなカフェもある。〉


〈目指したのは、都市のリビング。来園者が、思い思いにくつろげる場所で、芝生とカフェがその中心だ。〉


写真も掲載されている。穏やかな午後とでも呼べそうな光につつまれてたくさんの人が素敵なひとときを過ごしている。
わたしは横になりうつぶせでぱらぱらとページをめくった。その人が視界に入らないと良いと思い、ページに顔を近づけた。その人はときおりわたしの後ろからページを覗きこんだりしたと思う。香水の匂いが近づくことでその人がうろうろしていることを感じた。


別のページには南池袋公園の他にもさまざまな著名人のお気にの公園が取り上げれていた。 
お気にいりの公園は家から近い公園が良い。酔っぱらって悲しい夜にふらふら歩いていける公園が良い公園なのだから家から近い方がいいのだ。
だからこそ著名人が井之頭公園みたいな有名な公園をお気に入りというか身近な公園にあげていることをうらやましく思った。
家からちょっと足をのばしてどこかの公園へ行ってみても部外者という気がした。 
非日常としての公園というのもあるのだろうけど、やっぱり公園は日常のものだ。


日常の公園に集まっている人たちは楽しそうには見えなくても、穏やかな陽に照らされている。とても羨ましい。わたしもふれ合ってぐずぐずにとけて混ざってしまいたい。草や土、木などはあまり境界について厳密ではなくみえる。だから簡単に人々は混ざってしまうだろう。
混ざり合い滲み出て残念にもアスファルトの上にたどり着いたしまったものはへばりつきまったく見ず知らずのわたしになる。ばらばらのものを形だけ縫い合わせてももとのものとは別のものである。手や足や頭など誰が偉いということもなく、お互いが人見知りで上手に話すこともできないから、仕方なくいつまでもアスファルトの上から動くことは出来ない。たとえ穏やかな陽であってもアスファルトのうえでは耐えがたい暑さだ。アスファルトはわたしを容易には受け入れずただただわたしがわたしであることを苦しめる。


やがて夜がきて冷んやりとした。余熱も空気へ放たれていくのを感じることができた。
そしてアスファルトにへばりついたその上をネズミが通るだろう。ネズミが暗いところから現れ、月明かりに驚いたところをすかさず猫が飛びついた市街戦跡地の夜。
重ねた年月を覆い隠す濃い香りが耳をなでる。戦場はここだよ、とその人は言った。まったく比喩ではなくほんとうにそう思っているような口ぶりだった。わたしはとくに聞き返したりしなかった。もしかするとそのような理屈はあるのかもしれない。その人の言ったとおりなのだとして跡地とはどういうことなのだろうかと思ったけれどそれ以上聞くになれなかったし、ひとりになりたかった。


南池袋公園の前に立つとたしかに公園は塀によって閉ざされていた。
池袋の路上はなんだかとても寂しくて、もしかしたら今夜、門扉が閉ざされたすべての公園こそが外であるのかもしれないなどと思った。遠くの方から物を叩くような、いや物の内側から外側へと向かって叩くような、一定のリズム、音楽が聞こえてくる気がした。夜が好きな多くの人たちは、肌に寄せるビロードの闇の感覚を知っているのだろう。わたしは夜がこわい。公園内のコンクリートでできた幅の広い階段に猫の目がみえた。光っていた。