悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

1/10

美容室へいく。毎回書いている気がするけど、なぜあんなにみんな美容師と楽しそうに話せるんだろう。コミュニケーション能力なるもののなさに辟易する。
その後、喫茶店で本を読む。あまり集中出来ず。前々から思っていたけど、外で本を読むのはむいていないのかもしれない。ただ家に帰りたくないといつも思う。 

帰宅後映画『殺人の追憶』をみる。なかなか鮮烈。 

三四郎』は、ちくま文庫版の裏表紙によると青春小説らしい。多感な時期に読むと影響されたりするんだろうか。東京大学へ行ってあんな生活を送ろう、というふうに影響されるなら、けっこうである。わたしも影響されたかった。大学デビュー小説ともいえそう。 

大学デビューするためのブックガイドというのはどうだろう。 
もちろん、本にかんするリストというのはただ眺めて何かを所有した気分に浸るためだけのものなので、実用的であってはならない。実用的であろうなどと思うリストは批評的である。批評的であるということは、とうぜん実用的であってはならないという重力圏を抜け出すことではない。
だとすれば、「大学デビューするためのブックガイド」も実用的ではなく、生意気なティーンエイジャーが鼻で笑ってしまうようなものでなくてはならず、後年ふとなにかの拍子に読んだときにああもうちょっと早く読んでも良かったかもしれない、と思ったか思わなかったか、気づいたら通勤電車のなかでうとうとしているものが良い。三四郎はぜひ入れたい。 


1/11

『現代詩文庫50 多田智満子詩集』を読む。 
キートンの警察騒動』をみた。キートンは大好き。とても楽しい。キートンが大勢の警察官から追われる話。セブンチャンスは花嫁候補たちだけど、こちらは警察官。とにかく多い。奥から手前、手前から奥へ動き回る。ひょこひょこ画面にあらわれたキートンに画面手前から警察官が大挙してやってきたりする。
気分が沈んでいたので、よかった。 
キートンはあんまりふざけている感じがしなくて、それが好き。ふざけていない、というよりひねた感じがしないと言ったほうがいいだろうか。

 

1/14

土曜日は仕事が終わってから街にでかける。水炊き鍋を食べる。鍋はとても好き。本当はそこまで好きではないかもしれない。いまは好き。スープとかそんなような汁物(と言っていいかわからないけど)は好きだ。煮るのは良い。煮るのとアイロンをかけることはわたしの気分を穏やかにさせる。 

日曜日は喫茶店で本を読む。正確には読んでいない、やはり向いていないのだ。周りの人が気になってしまうせいだと思う。ちかごろは、オフしている人によく会う。出会い系とかかもしれない。今日、おそらく初対面であろう二人が近くの席にいた。明らかにお互いにがっかりしている。いや、片方のがっかりがもう片方に移ったような感じでもあった。いずれにせよ、まったくの部外者であるわたしにもがっかりが伝わってくるのには言いようない虚しさをかんじる 。休日である。休日に見ず知らずの人に最大限の期待をして楽しい気分で待ち合わせ場所へ向かう。当然出かけるまえには念入りに鏡をみたし今さっきだってデパートのトイレで鏡をみた。今日はいい感じ。ところがあってみるとなんだか違和感。がっかりする。若干の気まづさをかかえながらコーヒーをすすりどうやって早めに切り上げようかなどと思案する。
なんだか虚しい。まったく品のない想像ばかりして、本を読めないことも虚しい。 


本日はションベンライダーを観る。カッコいいシーンがたくさん。なんでか、辞書とブルースが先生の車で横浜から名古屋へ移動するシーン、助手席の位置から運転する先生と後部座席に乗る辞書とブルースを映しているのだけど、先生が自分の話をしてブルースがそれは初恋の話かというようなことを尋ねると先生が〈初恋だった〉と過去形で言い、カメラが助手席の位置から後部座席の方へゆっくり移動していき三人の後頭部を映す場面で泣きそうになった。理由はわからない。三人で歌を歌ったりしてとても良い。 


それから夏目漱石のそれから、と『生活考察vol.6』を少しずつ読む。
三四郎」がけっこう面白かったので、「それから」も読みはじめたけどこちらもなんでか面白い。なんでかというのは、どっちの主人公あんまり好きではないからで、でもどちらも面白いようである。 

「それから」の主人公代助は妙な働かない理由をいう。青臭いといえば青臭い。
わたしもたぶん怠け者で働きたくない。いや、働きたくないという目的と怠け者だという気質があるのだ。なんで働きたくないのか考えたことはあまりない。そうだからそうなのだ、ということにしている。
たとえば働きたくない怠けたいという目的があって、それに向けてあれやこれやして目的を叶える人がいる。こういう人たちはむしろ実直じゃないだろうか。逆にバリバリ働いて社長になりたいと思っている人でも、努力せずに万年平社員みたいであれば怠け者だろう。わたしは働きたくないという目標があるにもかかわらず怠け者なので中途半端に社会のレールのうえで、働かないことを怠けているのだと言える。呑気といえば呑気だ。