悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

01/15

仕事。あまり忙しい要件もなかったのでぼんやりしているうちに一日過ぎる。 
帰宅後は、「それから」を読む。 
但馬にいる友人というのが出てくる。学生時代の友人で、その後但馬へ行ってしまう。とくに何という人物でもなく筋のために登場するようで名前もない。けどちょっと印象的。 

友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新しい西洋の文学書をやった。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になるような批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。しまいには受け取ったと云う礼状さえ寄こさなかった。こっちからわざわざ問い合わせると、書物はありがたく頂戴した。読んでから礼を云おうと思って、つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云うより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云えば、読んでも解らなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物を廃めて、その代わりに新しい玩具を買って送る事にした。

この小説では、時間が経って変わってしまったことや変わらなかったことがでてくる。変わってしまたったことのひとつ。
なんとなく、こういうことを恐れていた時期がある。こういうことというのは生活に追われて好きなことがいつの間にか好きでなくなってしまうことで、わたしについてもそうなのだけど、周りの人がそうなってしまったらさびしいだろうな、と思っていた。けど、周りに同じことが好きな人はひとりもいなかったので、なんでそんなこと思っていたのかよくわからない。存在しない恋愛を思い描いて、別れの場面に感傷的なったりすることもあるから、似たようなものかしら。 
わたしは、大学を出てからまる五年が経つ。あまりお金にならない仕事をしてつらいつらいと言いつつちょびちょび本を読んだりしている。中途半端なようだけど、まあ生活とはそういうものだろうか。 


 1/16

仕事。本日も穏やかな一日。ぼんやりと過ごす。明日あたりはそろそろまじめに働かないといけないかもしれない。 
吉岡実『うまやはし日記』(書肆山田)をぱらぱらみる。なにが好きなのかうまく言えない。こういう日記を書きたいと思う。けど、あとがきによればこの日記はのちのち手をくわえられたらしい。それもそれなりに時間が経ったあと。「日記」を考えるならこのへんはわりと重要かしら。 
やっぱり、人に見せる日記というのは変で、人に見せる日記と見せない日記とで、そこに記される「わたし」と書いているわたしとの距離が同じというわけにもいかないだろう。 
映画『次の朝は他人』を観る。ホン・サンスはわりと観ている気でいたけど半分くらいしか観てないみたい。かなり好きなほう。 


1/17

仕事。 服を買いたい。 
夏目漱石『門』をすこし読む。宗助はすごくぼんやりしている。神経症などと言っているから、そういうことなのだろう。三四郎がうじうじしながらも東京をうろうろしているのとはぜんぜん違う。いや、そんなこともないかも。宗助は働いているし、むしろよく動いてる? 
『門』では、『三四郎』や『それから』とは語り手と主人公との距離感が違うのかもしれない。その分、ぼんやりした感じが強いのだろうか。まだ途中なので、ここから発揮して活発になったりするかもしれない。 
それにしても宗助は疲れいてる。休憩が必要。きっとわたしたちも。 
というか、なんでいまごろ夏目漱石なんて読んでるだろう。メアリー・マッカーシーを読みたい。グループは新しく出ないんだろうか。 
ヒロインズという本も面白そう。 

あれやこれや、読みたい本があると嬉しくなるのだけど、ふつふつわく好奇心に身をまかせすぎるとあるとき飽和点のようなものをむかえてしまい、あーなんにも読めない読む時間がないというようなうんざりした気分になってしまう。プーにならっていえば、やんなっちゃう!って感じ。 


1/18

仕事。 
仕事中は、はるか檸檬『れもん、よむもん!』を読む。 
帰宅後、『門』の続きを読もうと思ったけど、なんとなしに『ベイビー・ドライバー』を観始めてけっきょく最後まで観てしまう。 
主人公のベイビーがヒロインのデボラとダイナーで会話していて、t-rexのことをトレックスと言ったベイビーがデボラに訂正されるというシーンがある。 
わたしは人と趣味の話をすることがほとんどないので、ときおり固有名詞を口にしようとして発音や言い方がわからなくなることがよくある。ふと「いばき」のり子なのか「いばらぎ」のり子なのかわからなくなるし、「あまさわ」退二郎なのか「あまざわ」退二郎なのか、わからなくなる。というかいまだかつて、どちらの名前も口に出したことないんじゃないかなと思って、言ってみる。ここは静かな閑散とした海岸ではないのに、だれもいないところ。

『れもん、よむもん!』はとても良い。読書についてのエッセイマンガ。『ココの詩』という小説が出てくる。わたしの知らない小説。作者がこどものころに読んだ小説だ。作者も内容を忘れてしまっていたりする。作者は『ココの詩』を読み直して、あらすじを説明するのだけど、小さいころに読んだときの印象と大人になって読み返してからの印象、どちらもが混ざり合うような混ざり合わないような、過去の自分の読書を尊重するような、書き方がすごく好き。 
後半の、作者の読書感に影響を与える人物たちの肖像も良い。
本を読みはじめてからこのかたほとんど一人で本を読んできたわたしにとっては、羨ましくもある。 
まあ、漢字の読み方がわからないのは、単純に学がないだけかも。