悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

お見舞い

お見舞

Sのお見舞いへ行く。盲腸の手術のためで、数日もすれば退院できるらしい。
行かなくても良いような気もしたけど、休みだったので行くことにした。
なにか持っていこうと思った。盲腸の人に食べ物は持っていかないだろう。他には本くらいしか思い浮かばなかった。もしかしたらもっとふさわしい常識的なものがあるかもしれない。あんがいこういったお見舞いの振る舞いなどで人の評価というのは決まってしまうものかもとも思ったけど、考えだすとなにもできなくなってしまうので悪く思われてしまったらそれはそれで仕方がない、と決心したわけでもなくなんとなく考えることを放棄してしまった。

S は本をあまり読まない。ただ関心はあるようだった。本を読む習慣があったらいいなとは思うけど、いざ読みはじめると飽きてしまうのだとか。日頃忙しそうなSも入院中に暇な時間もできるだろうから本を読むいい機会だろうと思った。
Sは元気そうだった。

 

コーヒー

今朝、コーヒーを飲んでいて思いついたことがある。
コーヒーを毎朝飲む男がいるとする。
あるころからの習慣で朝起きてコーヒーを飲まなければ一日が始まった気にならない。好きかと言われれば毎日飲んでいるのだから好きなのだろう。しかしどちらかといえば習慣なのであって、好きだとか嫌いだとかということはあまり考えたことがない。

一方でこの男と似て非なる別の男もいる。
この男はあるとき自分はコーヒーが好きらしいと気がつく。それからというものさまざまなコーヒーを飲み比べていく。意識的に飲む。すなわち、違いのわかる男。そのうち自分で作ったりし始める。好きかと言われればとうぜん好きだと答える。この二人はコーヒーにが好きな部類である。

さらにもう一人べつの男もいる。
テレビや映画、あるいは本など読んで、コーヒーっていうのはなんだかカッコいいななどと漠然としたあこがれを抱いている。ときおり渋い顔をして飲んだりしてみるけれど、実はあまり口に合わない。

つまりあなたはこの例でいえば三番目でわたしは一番目でともに二番目に憧れているのだ、といった内容のことをSにたいしてえんえんと偉そうに話しているうちにドクターがやってきて手術の説明がありますなどと言い二人してどこかへ行ってしまった。
待つことして、買ってきた高橋久美子の『いっぴき』というエッセイ集をぱらぱらと眺めた。チャットモンチーのドラムを叩いていた人だ。今は作詞をしたり本を書いたりしているらしい。解説をボーカルの人が書いていて、そこを読んでいたら感動して泣いてしまった。
「どうしたの。ただの盲腸の手術だよ」
とひとりで戻ってきたSは驚いたようだった。

 

御茶ノ水

なぜかわたしのほうが励まされたうえに玄関まで見送られ、なんだか申し訳ない気分のまま病院を出て、駅のほうへ向かう。
赤信号で待っていると、ひとつさきの交差点に見知った影をみたような気がした。
そもそも知りあいが少ないので外で人とばったり会うことなどなく、気のせいだと思いつつも誰だったろうかと考えていると、懐かしい気分になった。
駅を通りすぎてそのまま靖国通りまで坂を下っていくと、有名なレンタルCDの店がある。ちょっと前に閉店してしまったらしい。

いっとき熱心に通っていた時期がある。
たくさんCDを借りた。いったいどれほど聴いたか。
集めることに執着していたように思う。
名前だけたくさん覚えてなにかを得たような気になっていた自分をいまはとても恥ずかしく思っている。
恥ずかしいというか、不憫?
きっともっと良い楽しみかたがあっただろうに。

あんまり自分を卑下したり人前で卑屈な態度をとることはあんまり良くない。それはそれで気取った態度だと思っていても、ふとかつてのわたしが通りがかった街でその影とばったり出くわしてしまうとギョッとするし自己嫌悪がわいてくる。
いつのわたしも過去のわたしを恥ずかしく思っている。こんなことではきっといまのわたしもいずれわたしは恥ずかしいと思うかもしれない。ほんの10分前のことですらもっとうまくやれただろうにと思ったりしているのだし。

暗い顔をして、いやうつむき加減でじっさい顔はよく見えなかったけど、立ち並ぶ楽器屋をとおりすぎていくわたしを追いかけた。途中で左へ折り曲がり私大の喫煙所でタバコを吸っていた。ipodをとりだしてなにやらぐりぐり操作していた。なにを聴いていたんだろうか、と思う。話しかけようかと思ったけど、話しかけなかった。大学の学生たちが何人かわらわらと喫煙所に入ってくるとまだいくらか残っていたタバコを消してわたしは靖国通りの方面へと姿を消した。

家から御茶ノ水は近いところではないし、よくもまあわざわざひとりで来ていたものだとは思う。映画館へもよくわからない映画を観にきていた。
よっぽどひまだったんじゃないかしら。
ちょっと同情してしまった。そういうの、当時の自分はすごくムカつくと思うけど。
まあ、いまもあんまり状況は変わりないですよ。