悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

3/10

お昼におかゆを作ったら水をいれすぎてしまいふやふやでびちゃびちゃしたものを食べるはめになってしまった。

小袋成彬『分離派の夏』というアルバムを聴いていたら夏が恋しくなってきた。
今年の夏はいつもの夜道を日のあるうちに帰って遠くに入道雲を見たりしよう。

石川初『思考としてのランドスケープ 歩くこと、見つけること、育てること』(LIXIL出版)は昨年出た本で、すごく楽しみにしていたのにいざ買ったらちっとも読まないでいて最近ようやくぱらぱら読み始める。
(そういえば、たしか昨年二子玉川にあるスタバが併設されていて店内で本が読める書店で買ったのだった。『ひとり空間の都市論』という本のなかで本が読める宿泊施設について顕示的消費として利用されていると論じられていたことを思い出した。)

『思考としてのランドスケープ』の「公園の夏」という章では2016年にポケモンGOが配信され世田谷公園に人が大挙した出来事から公園につきまとう矛盾について語っている。青木淳は〈そこで行われることでその中身がつくらえれていく建築〉のことを「原っぱ」といっていて〈なにをしてもよい汎用の空間〉である公園はいっけん原っぱのような面白さがありそうだと思っていたのだけど、公園は〈なにをしてもよい汎用の空間〉を維持するために多くのことが制限されていってしまうのだという著者の説明にとても納得する。
あるいは近頃の公園には顕示的消費というのもあるかもしれないなどとも思う。


今日は休みで図書館へ行き何冊か本を借りてぱらぱら見たりしていたのだけど、自分の本棚にあるオースティンの『エマ 上』(ちくま文庫)を読み始めたら面白くてけっきょく図書館で借りた本は読まなかった。