悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

3/12

どこかへ行ってしまいたいなどと口ではいっても結局どこへもいかないのはわかりきったことで、わたしはいつもわたしをあまり信用していないものだからわたしもわたしに期待されていないことをすっかり気にしなくなってしまいあることないこと言ってしまうのはまあわたしのせいとも言えるしわたしのもせいとも言える。

少し前に、家出したという人の話をきいた。家出した人は23歳で、その年齢ではもう家出とは言えないのではないだろうかと思ったりしたのだけどその人の家族からしてみると失踪でも逃走でも出奔でもなくたしかに家出だったようなのだ。なんというか23歳という年齢にも関わらずまるで中学生がいっとき姿をくらましてしまったかのように家出と呼ばれてしまう状況がその人を家出せしめたのではないだろうかという気がして、暗澹とした気持ちになったことを思い出す。最近ではその人もいくらか気分が上向きになって家族とも上手くやっているそうなので遅すぎた家出にも意味はあったのかもしれない。

暗澹とした気持ちになったことを思い出したのは暗澹とした気持ちだったからかもしれない。
暗澹とした気持ちになったことは、たぶんそうなのだけど、その日の天気を思い返したときに曇っていたり晴れていたり曇っているのか晴れているのか素人目には判断がつきかねる日というのがあって、同じように前日から引き続き暖かさに良い気分になったりもしていたのも事実だ。

 

本日は、オースティンのエマの下巻を引き続き途中まで読んで、なんだか変わりつつあるエマにちょっと愛着が湧いてきた。変わるといっても、価値観が変わるというよりかは人に対する評価が変化するという感じ。

おしゃべり、噂、憶測。見栄や嫉妬。
それにしても、みんなホントによく喋る。最近レイモンド・カーヴァーをよく読んでいるためか疲れ知らずのおしゃべりに圧倒される。ウッドハウス氏や、ミス・ベイズのおしゃべりはほとんどおんなじ話しかしない。物語の進行が遅くなるのはウッドハウス氏のせいにすら思える。「風邪をひいてしまうよ」と何度も何度もみんなを心配するのだけど、そのおしゃべりは恋愛小説というよりは結婚小説と言いたくなるようなオースティンの小説内で終わりにむかって軽快に進んでいく中、結婚反対をつねづね口にするウッドハウス氏によるささやかな抵抗なんじゃないかと思うと、なんだかおかしい。