悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記3/19

3/19

会社近くのコブシの花が枯れてきた。
大きな木で、遠くからみると白いのが映えていたけど、あっという間に終わってしまう。
コブシの花は傍目にはしっとりとしているようで重さを感じる。


〈わけもなく家出したくてたまらない 一人暮らしの部屋にいるのに〉枡野浩一

〈すぐに家出したまえ。/自分は正しいと思ううちは戻ってきてはいけない〉と講談社文庫『結婚失格』の解説で町山智浩は先の短歌を引用したうえで書いている。
〈彼は自分を捨てなければ、妻を理解できない。人間がわからない。自分で自分を捨てられないなら、自分の居場所を捨て、自己を否定される旅に出るのはどうだろう。〉(同上)

この解説には納得できない部分も多いのだけど、まず行動しろという言葉に対峙するとただタジタジになってしまう。

カーヴァーの「列車」という作品は、
〈女はミス・テンドと呼ばれていた。彼女は一人の男に向かって銃を突き付けていた。〉というはじまりでカーヴァーの作品にしてはとてもアグレッシブに始まる。
〈彼女は男に思い知らせてやろうとしたのだ。〉という。
女はその場を去り、駅に向かう。列車に乗るためで、つまり逃亡することにしたのだろう。あんまり出来事の背景は描かれないのでなんともいえないけど。彼女は駅の待合室で電車を待つ。待合室には誰もいなかったが、やがて老人と中年の女がやってきて列車が来るまでの三人の様子が描かれる。
緊張感のある場面からはじまったかと思いきや、待合室の三人の様子は容量を得ない。
思い切って(きっと思い切ったのだろう)行動を起こしたにも関わらず、だらだらと不快な場面が続き、女の逃亡の先行きは思いやられる。

短編集『大聖堂』では「熱」も良かった。村上春樹の解題もいい。
〈完全な十全な愛というものはこの世界にはない。しかし人はその漠然とした仮説の(あるいは記憶の)温もりを抱いて生きていくことはできるのだ。〉
完全な十全な愛とは、「熱」に出てくるウェブスターさんという家事とベビーシッターを請け負う女性から導き出されている。ウェブスターさんは、妻に逃げられた男に明るさをもたらすのだけど、もともとは間男の母を手助けしたした人で間男を通じて妻から紹介されるというあたりが面白い。

カーヴァーの作品は全体通してすごく好きかと言われるとぜんぜんそんなことはないのだけど、カーヴァーを読みたい気分の時、というのはあるみたい。

〈彼はシャツのポケットから煙草の箱とシガレット・ホルダーを取り出した。そして煙草をホルダーに差し込み、シャツのポケットに手を伸ばした。それからズボンのポケットを探った。〉「列車」

〈二人の少年はステーション・ワゴンの外に出ている。一人は軍隊式に気をつけの姿勢をとっている。両足をきちっとつけて、両手を脇につけている。でも足を見ていると、彼は両手をばたばたと上下させながら跳び上がり始める。まるでそこから飛び立とうとしているみたいに。もう一人はステーション・ワゴンの運転席の側にしゃがみこんで、膝の屈伸運動をしている。〉「轡」

視点人物がぼんやりと眺めているように書かれている登場人物の動作の描写が好きかもしれない。ただ動くのを眺めている。うまく頭が働いていないような感じが良い。