悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記5/7~10

5/7

連休明け、想像した以上に辛い。ただ幸いなことにいい加減な職場のため、ぼんやりしたままやらなければならない仕事を先延ばしにしていたら、時間が経ってしまっていた。
仕事中に田中英光オリンポスの果実」をちょこっと読んだりもする。独特な語り口でおもしろい。読んだのは西村賢太の解説が載っている中公文庫版だったのだけど、これも良い。田中英光を熱心に読んでいたときのことは小説にもなっているらしい。

それにしても、今日は寒かった。今日から肌着の種類を変えたせいかも。曇ったり雨が降ったりしていたし、風も吹いていた。
そのことは誰にも話さなかった。そういうことはとても多い。誰にも話さなかったことばかりある。恥ずかしいからとか、疚しいから話さなかったというわけではなく、さして重要ではないと思ったから話さなかったのであって、そういったことはすぐに忘れてしまう。
日記を書くとき、さして重要ではない一日のうち、比較的重要そうなことを書いているのだと、たぶん、思うのだけど、重要でないわたしの生活のうちで重要なことを掬い上げようという志向があるのだとすれば、わたしがわたしの生活を重要でないというときのその「重要でない」という言葉は否定的なニュアンスを帯びるかもしれない。

なにを書いているのかよくわからなくなってきてしまったけど、ミシェル・レリスとは違ってその日の日記はその日に書く派であるわたしにとって、内容はさておき、これくらいの量を書けば十分満足するし、明日も早いので寝ます。

良い睡眠。良い睡眠。

 

5/8

晴れ。
ゴールデンウィーク前にクリーンニングに出していた服が破けていたことに気づく。袋から出してしまっていたし、クリーニングのタグも外してしまっていたのでどうだろうかと思いつつ、電話をしてみると店舗にもってこいと言われたので仕事が終わってから持っていくと、クリーニングに出した時点ですでに破けていたという。特に破けていたという証拠があったわけではないのだけど、逆に反論するに足るものもなかったので、仕方ないと帰宅。
お風呂に入っていたときにはもうすっかり忘れていた。忘れてしまっていたことを思い出し、そんなすぐに忘れてしまうようなことにとらわれていらいらしたことを後悔する。


5/9

〈だが、不思議なもので、ある考え方が完璧に正しく真っ当だと頭でわかっていても、必ずしもそれを心から信じて実行に移すわけではない。だから私はあいかわらず自分の気分が世界の中心だと思っていて、そのせいでたびたび真夜中の居間の窓辺に独り立つことになる。ちがうのは、今の私はこう考えられることだ。−−いまに私も、自分の気分なんか世界の中心ではなくなると思える日がくるのだ、と。これは大きな慰めだ。〉
リディア・デイヴィス「自分の気分」(岸本佐知子訳)

〈大きな慰め〉
晴れ。
いそがしい一日。

 

5/10

従兄弟の子どもが遊びにくる。久しぶり。
ちょっと会わないとすぐに大きくなる。
気取った素ぶりでわたしが話しかけてもぷいっとしていたけど、しばらくすると飛んだり跳ねたりご機嫌な様子。
従兄弟の子くらいしか子どもと接することがないのだけど、会うたびに、全能感といえばいいのか無敵な振る舞いに羨ましくなる。

長谷川四郎『中国服のブレヒト』を少し読む。ブレヒト墨子を読む本。