悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

梅雨があけるまで

7/19

図書館で借りてきた「レイ、ぼくらと話そう レイモンド・カーヴァー論集」を途中まで読む。
体調もよくなってきたので良かった。
本日は天気も良かった。
暑かった。
  

7/23

仕事。
転職のこともぼんやりと考えながら過ごす。
Sは「転職する」と断固とした決意をあらわにしていた。
近ごろ(ずっと?)悩ましいのは、自分には体力がないのではないかということで、たとえばSなんかはフルパワーで一日遊んで、次の日に丸一日寝ている、みたいなことができる。妹もできる。こういうのを体力がある、と思っている。わたしはできない。
どうしたらいいのだろう。いろいろ。  

多和田葉子「ペルソナ」を読む。 顔は人から見られる。
  

7/24

ダダシェフというロシア人のボクサーが試合後に亡くなった。

7/25

休み。
急に夏が来たようだった。
とたんにどこかへ行かなくては、と焦燥感にかられる。
かられるだけでとくには何もしなかった。
江國香織『犬とハモニカ』を読み終える。
短編集でどれも良かった。描写がよくて、明るい昼間の場面の穏やかな雰囲気のまま終わってしまえばいいのに、と思う作品もただそれだけでは終わらなかったりもする。そういう味わいもあるのだと思う。 理解し合うことだけが他人と理解し合うことではないのだと明るくもなる。
多和田葉子犬婿入り』も読む。表題作の冒頭の夏の団地を切り取ったところがすごく良かった。多和田葉子の小説には期待していなかった良さだった。

7/26

仕事。
夏っぽくなってきたね、と上司に言われて、
ちょっと嬉しそうな顔で言うものだから、
わたしもちょっと嬉しそうな感じで、そうですね、と言ってみたら、嫌んなっちゃうよなどと言うものだからどう返ていいのかわからず、へへへ、と例の嫌な笑い方をしたら、すたすたどこかへ行ってしまった。

梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』を少し読む。
中国における低賃金労働の問題について解説し〈グローバル運動の圧力は、それ自体は状況を変化させる力をほとんど持ち得なかったことは明らかだろう。〉と述べる。勉強になる。

そういえば、王兵という映画監督が好きでちょっと前に見た「苦い銭」という映画の中、登場人物がみんなスマホを持ってるのが印象的だったのを思い出した。それは同じ監督のもっと前の「鉄西区」という映画が2000年くらいの映像だったのと比べて思ったのだと思う。
  

7/28

Sと遊びにいく。
吉祥寺の時計屋さんで、時計のベルトを買う。
二年前に同じお店で買ったベルトがだいぶ傷んでしまっていた。

暑い日だった。
お店は駅から少し離れていたので、歩くのがたいへん。
日陰を探して
歩いてみるも
それほど多くない。
道路の両端を他のところより濃い色にしておけば、脳が日陰と勘違いして多少涼しく感じるのではないだろうか、などとよくわからないことを思ってしまうほど暑かった。

時計屋の帰りに古本屋によりまったく読む予定のない本を買ってしまう。
「最近は、読んだことのない本は買わないようにしていたのに」 と誰に言うでもなく、言い訳してみたけど、よく考えたら先日も新刊本を買ってしまったので、「ようにしていたのに」というのはまったく間違っている。

意思が弱いのかもしれない。
タバコもやめられないし。

以前考えた古本屋で本を買わない方法。
欲しい本を見つけたら棚から抜き取る前に、値段を予想する。上下200円以内なら買っていい。
結果。まったく効果なし。
果はなかったのに、「こうしたら、無駄遣いしませんよ」と何度か嘘をついてしまったことを思い出す。
  

7/29

仕事。
「桃があるから取りに来てください」と内線電話があった。
別の部署からで、わざわざ電話でこそこそ言ってくる場合は、わたしの上司やその上司の分はなくその部署で分配するには中途半端だったために余った分を適当に押し付けようという魂胆の場合が多い。
などと嫌なことを考えがちなのだけど、そういうのはよくないと気をとりなおして、桃を楽しみして帰るときに頂いて帰った。 袋に入っていた桃をあけてみると、すももで、すももの方が好きなので良かった。


08/02

仕事が忙しくなっている。
嫌んなっちゃう。
と言ってみても、どうにもならず。
暑すぎる。これもどうにならない。
あまりにも明確に夏が訪れたので、梅雨が明けたというニュースに気づかないまま数日が過ぎていた。
蓄積されるダメージというのはあるだろうから、毎年おとずれる猛暑は、きっとわたしをじわじわと衰えさせているに違いない。