悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

これはさみしい!

08/05

休み。
起きたとき、仕事だと思い慌てて起きようとして、
ああ休みなんだった、
と安堵する。この二度寝は一番気持ちの良い二度寝だと思う。
気持ちが良くても二度寝をしてしまったので、休日の出鼻をくじかれて しまいけっきょくだらだら過ごす。
『掃除婦のための手引き書』などを少し読む。

08/07

仕事。
とても疲れている。
カフェインを摂りすぎなんじゃないかと思い、四日くらい前から摂らないようにしていたらやたらと調子が悪く、調べると離脱症状というのがあるらしいことを知る。
そういう症状があると知ると、仕事中にイライラしてしかたがないことも、頭が痛いような気がすることも、みな離脱症状とやらのせいに思えてくる。
こうなると、カフェインを摂りたくなる。カフェイン、カフェイン。頭の中がカフェインだらけ。
カフェインのことを考えるのをやめようと考えるのもカフェインのことを考えているのだから。
この思考のサイクル自体が何かをやめようとすることにまとわりつくものなのか、自分の考え方のせいなのか、わからない。
たとえばいろいろ同時にやめてみるのはどうだろう。
たばこもカフェインも、他にもいろいろ依存的なものものをせーのでみんなやめてしまえば、たとえ体の調子が悪くなったとしても、いったい何をやめたことによる禁断症状的なものなのかわからないので、良いのではないか。
などとヨタを思いつくけど、ぜったいにうまくいかないので、文章にしてくだらない思いつきにも花を添えてあげる。ことになるだろうか。

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、
藤森かよこ他『クィア批評』を少しづつ読む。
『掃除婦のための手引き書』は、カーヴァーとデイヴィスが褒めていたという文句に惹かれて手に取った。
表題作は、バスにのって掃除の仕事をするために家をめぐる話。バスにのればいやおうなく移動するので、いろいろなものが眼にうつる。その描写も良い。途中途中でうしなってしまった恋人への思いが挟まれるけど、やはりバスはすすむし、日は過ぎるし、仕事はしなくてはならない、とうぜん文章もすすむ。とても切ない。明るさが切ない。

08/08

夏らしいことがしたいな、と思い、
植物に水をあげるついでにジョウロに水を汲んで、流してみる。
石畳をつたっていくようすを観察する。平らなようでいて、地面は平らではなく流した水は忠実に流れるべき方向へ流れていく。
石畳の上に散っていた花びらが水に流され、同じ方向へ進んでいくといずれどこかでひっかかりかたまり溜まる。水もまた進行方向を花びらに塞がれてしまい溜まる。
もう一度水を汲んで勢いをつけて流すと花びらは流れていく。流れていくというか、石畳の上に散った。
見ているといつまでも見ていられるような気もしたけれど、これはさみしい! とも思った。

8/11

仕事。
明日から夏休み。 開放感からか、だらだら、なにもせず夜更かしをしてしまうといういつものパターン。 『クィア批評』を読む。