悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2019/12/27

風の強い一日だった。

朝、通勤途中に着ている上着を新調したらとても暖かくて、すごく良い買い物をしたんじゃないかと嬉しくなったのだけど、今日は比較的暖かかったのかもしれない。でも風が強かったので、やっぱり寒かったのかもしれない。

 

会社の近くのコブシの木がここ数日で伐採されてしまった。
今日は職人たちが、切った木の枝をチェーンソーで細かくして片付けをしていた。
枝についていた茶色い葉っぱが細い道路を舞っていた。動画を取らなくてはと思ってスマホを向けたけどうまくなかった。スマホではあまり動画をとらない。動画でとれば道路を舞っている枯れ葉もとることができると新鮮な気持ちが良かった。形にはならなかった。

窓ガラス越しに外を見ていると冬でも暖かい。朝、触れてみると冷たいけれど、日中には熱だけが届いている。あと光。光も届いていることをあまり考えなかった。いま、光も届いていたのだと気づく。あと他にも。

 

村田沙耶香『地球星人』を読んだ。おもしろかった。
ヒースクリフの愛は原体験の徹底的な擁護なのではないかと、谷崎潤一郎を読みながら、なぜか、ここ数日考えていて、それはすでに失われてしまったものだからこそ擁護する必要があるのだと、谷崎潤一郎の幼いころへの力強い肯定もきっと似ているのだと、思ったりしていたら、『地球星人』もそういう小説のように途中までは読めたのだけど、村田沙耶香の登場人物の力強さはむしろ過ぎ去ってしまった特別な時期の特別な体験が失われたりせず連綿と続いているところが重要なのではないかと他の著作のことも思い返して考えを変えながら読み進めていくと、なかなかショッキングな展開で、的外れなことを考えていたような気になる。

そうした勘のようなものは、たいてい的外れなのだとして、それらから広がっていった感情はどうなってしまうのか。風が吹いてさっとなくなったわけでもないのだろうけど。