悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2020/01/18

ブログなんて、ららら。
そんな気分で日々は過ぎていき、人と会わずつぶやかず、大きな歩幅でカクカクと歩くのにハマっているうち気がつけば1月も半ばを過ぎていた。

年末年始には良いことも悪いこともあった。戻りたいと思うくらいには良い時間だったと思う。

いろいろ書きたいこともあったけど、結局はちっとも文章を書いたりしなかった。
比較的気分が良い時は、あまり書かかないようだ。文章を書かないというか、日記などは書いているのでまったくかかないわけではなく、誰かに読んでほしい気持ちがなくなると言った方が正確なのかもしれない。

日記を手書きに戻した。
定期的に手書きにしたり、キーボードにしたりしている。残っている日記はたぶん高校生のときが一番古い。でも三日坊主がずっと続いているような感じで、毎日欠かさず書いているわけではなく、一ヶ月の平均で言えばせいぜい半分くらいではないだろうか。

21歳くらいまではほぼ手書きだった。その後キーボードになり、パソコンが壊れたさい24歳くらいまでのものがなくなってしまって以降は手書きとキーボードとどちらにも落ち着かなくなった。
手書きしたものを写真に撮って保存していたこともあるけど、そういうことはもうせず、書く媒体が変わっても気にしないことにした。

手書きだとキーボードよりも時間がかかる。
思考と表れることばの速度の違いはどちらが肌になじむかは人それぞれだろうけど、いまは手書きの方がよく合う。
もっと遅くしようと、利き手と反対の手で書いたりしてみる。
わたしは左利きなので右手で書く。
横向に文字を書くとき左手だと書きにくい。右手も慣れないためもちろん書きにくいのだけど、視界の開け方がぜんぜん違う。書いた文字がいちいち見えるのがとても良い。軌跡がわかる。左利きの人でも、手を書いている文字の上側に置くことで、自分の手が文字に被らないように工夫していることが多いけど、わたしは書いた文字を覆った状態で体を不自然に傾けて書くことが多い。
なので、わたしは自分自身の文章を読み返すと過去のことを思い出したりしてばかりだと思っていたけど、実は近い過去についてはすっかり手で隠してしまっていたのだと気づく。


直近の過去を手で覆ってしまっていたから、遠い昔のことばかり思い浮かべてしまうのかもしれない。