悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2020/02/28

 

天気の良い一日だった。

どこの梅もしばらく前から良い感じになっている。

桜より梅が好きなのは、梅の花を見るともうじき春が来るという春一歩手前の感じがするからで、予感というか期待の気分を生み出してくれる。

桜が咲いてもまだ冬の名残があったりすることはあるとはいえ、ソメイヨシノは本番というか、イベントの当日っぽい。

季節のおとずれは開会式のように待ち望み、派手な意匠で、高らかに告げられるようなものではなく、ゆっくりと、いつのまにか、わたしがかつて未来のわたしだと思っていたわたし自身と重なっているのと同じように明確に分け隔てられているものでもないだろうから、桜の開花が春を告げましたなどといわれるとうんざりした気持ちになったりする。もちろん桜が悪いわけではない。

 もっとも〈あい変わらず季節に敏感にいたい〉とはいえ、書かれたわたしをうかつにも理想的なわたしと重ねてしまったり、過去の自分自身も平気でわたしと言ってしまうくらいには鈍感なわたしなので、やはり梅の咲くころに春の予感をおぼえ散りはじめた桜に気づくことで来てしまったことをようやく思いだすのがせいぜいなのだろうから、はっきり春が来ましたと告げられたほうが目が覚めて、いつまでも冬は冬眠する季節だからなんていろいろ考えなくてはいけないことを先延ばしにする言い訳をせずにすんで良いのかもしれないけど。



前回の更新で、気分が良くて調子が良いときはあんまりブログを書く気分にならないというようなことを書いていて、それはつまり、ちょっとナイーブでおセンチな気分のときのほうがブログなんて更新してしまうのだというつもりだったのだけど、すごくナイーブなときだとそれはそれでブログなんて更新する気にならないのだと、このところ暖かくなってきたせいかブログを更新する気持ちになってきて気づいた。

一ヶ月に一度くらい更新できるとぎりぎり、継続してるな、という気持ちになれる。