悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2020/04/16

4月1日。お昼休みにタバコを吸いにいくと、ふだん吸っていたところの灰皿が撤去されていた。隣のスーパーからも消えているし、向かいの飲食店には「全面禁煙」と書かれたのぼりがみえる。
もはや部署内でも最後の喫煙者となっており、不屈の覚悟であったけど、もうダメだ、と転向することにした。いやいや、転向の釈明は不要。汚辱にまみれて生きるのだ。
そんなこんなで2週間。毎日憂鬱でいっそ滅亡したらいいのにと全員敵のように思えるのも禁煙のせいに違いないことにして過ごす。

生活の不安。今月はまあいい。来月もたぶん大丈夫。再来月はどうだろう。そもそも収入がなくなったとしてどのくらい持つんだろうか。

チェーホフの登場人物は、100年経てば今のわたしたちが抱える問題なんてぜんぜん問題じゃなくなっているなどと言う。この100年後への想いは、のんきだし絶望的でもある。同じ程度にわたしものんきだし絶望的な気分。
あるいは、明日のことを考えることにも疲れはて、ねむたくてねむたくてしかたがない。明日が来ても来なくても、誰かを殺めてまで今夜ぐっすり眠りたい、などと思ってしまう。

日がのぼれば、職場へ行く。
朝の道がいつもよりちょっと人がまばらな気がする。こんなのんきなのうちの会社だけでは? などと思ってしまう。たしかに同じようなことを職場のだれもがささやいている。
次亜塩素酸水を加湿器にいれる。そんなことして大丈夫なの? という人がいる。
きちんと薄めてますからと誰かが言う。
窓を開ける。鍵を開けたり閉めたりする音が響く。
一日に4回、換気をする。朝、11時、14時、16時。
郵便局へ行くと寒い。見上げると、高いところにある窓がすべて開いている。この郵便局はこんなに天井が高かったのかと驚く。
手紙が舞い上がってしまわないだろうかと、心配する。