悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2020/10/30

風が冷たい。
昨日、夜の7時頃、駅のホームに立っていて、風が冷たいと感じた。
今日も冷たい。
これは冬の風かもしれないと思う。
木枯らし1号とか、冬将軍とかは冬の風のことだろうか。
そういえば、ニュースでそれらの言葉を聞いたような気もする。昨日か一昨日か。
ぼんやりと耳のなかに「木枯らし1号」が住み着いたせいで、風に敏感になったのかもしれない。
冷たい風は、体を通り抜けていくように感じる。暖かい風は質量をともなって体にぶつかりまとわりつく印象なのに対して、冷たい風は内臓を撫でて吹き抜けていく。体が透明さを帯びる。風がとおる空洞は軽いのではないか。うまく踏み出せば、浮くのではないか、ということくらいまで思い浮かべることもできそう。

 このところ名作アンソロジーみたいのをよく読んでいる。地ビール飲み比べみたいな感じでたのしい。面白くない小説がまじっていても、まあ、短いし、許せる。
先日、宇野浩二の「屋根裏の法学士」というのを読んだ。
オブローモフ的な、といっていいのか、ダラダラと家にこもっている男の話。
小さい頃のことを思い浮かべ、もっとこういう風にも人生を歩めたなと妄想する。
昔の知り合いが相撲取りになって活躍しているのを知って、男は小さいころは自分の方が強かったことを思い出す。だから自分も稽古をしていたら彼より強い相撲取りなっただろう、などと思う。これくらいはまあよくありそうだけど、男はさらに、今の状態でもその相撲取りより自分は強いんではないかと思えてきてしまう。これは、なかなかダメなやつ感がある。
マツコデラックスが、いぜん、テレビで自分はテニスの世界ランキング第2位までなったことがあると言っていた。妄想のことである。よくわかる。私も情熱大陸に取り上げられたことがある。
ところで、宇野浩二の若いころの写真は、妙な表情をしていると見るたびに思う。ちびまる子ちゃんの歌に、〈インチキおじさん登場〉というのがあるけれど、妙にぺたっとした髪をして、くっきりとした眉と口髭をした宇野浩二が思い浮かべるとしっくりくる。
私が宇野浩二の事をあまり知らないからだろうな。
ちょっと前に「夢見る部屋」という短篇も読んだのだけど、それも良かった。遠く見える屋根が湖面に見えるなと思う話で、そういうのってあるよねと思っておもしろい。ちょうど何日か前にテレビで、遠くから見ると湖に見える工場の壁というのをやっていて、坂道の下にみえる工場の壁は、住宅にはさまれ、その隙間からのぞく一部分がたしかに湖のようだった。
どちらも錯覚なのだけど、錯覚は良い。現実に目を向けたくないということかもしれないし、あるいは錯覚だと気づくことで、その裂け目から現れたものを現実だと思い込みたいのかもしれない。