悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2021/01/24

徒歩でいける幻想 

いつのまにか迷い込んでいたい。
境界をこえたのはいつだったか、振り返ってもわからない、徒歩でいける幻想。
飛躍はない。よたよたと俯いて歩いていたらたどり着いていた。そんな気分が良い。
宮沢章夫の『サーチエンジンシステムクラッシュ』はそんな小説だったような気がするけどどうだろう。なにか他の小説と混ざっているかもしれない。
岡本学『アウアエイジ』も似たような味わいだっただろうか。こちらはもう少し手前側、境界を越えずに境目をさまよう感じだったかもしれない。いや、そんな、幻想などということはまったく関係なかったような気もする。
あるいは、
温泉へ行くことになって、駅から温泉地までバスが出ているのだけど、歩いていけるのではないか、ということになり、へらへらと三人で歩き出す。誰かが鞄から焼酎の瓶を取り出すと、きちんと紙コップも用意されている。これはこれは、と良い調子で歩いていく。
しばらくすると、歩道がなくなり、途中ですれ違う車はからはなぜか視線を感じる。とうとう一台がとまり、どこまで行くのと尋ねられたので、どこそこの温泉までと返事をすると助手席に座っていた女の人は目を丸くして載せていってあげようかなどと言う。ぜんぜん大丈夫ですよ、ハハハ、と元気いっぱいお断りする。
1時間も歩くと、さすがにそろそろ着くのではないかと思いはじめる。ちょっと遠くないだろかという気持ちが湧く。
駅からはずっと上り坂で、だんだん寒くなってくる。まだ、薄着だけど歩いているからそれほど寒くないね、などと言う余裕はあった。とはいえ、もともと体力のないせいか、最初にちょこっと飲んだきりで、焼酎はちっとも減らない。なんなら瓶は重い。
3時間もすると、旅館から電話がかかってきて、まだつかないのかと言われる。とっくにチェックインの時間を過ぎていたのだ。ようやく到着すると、旅館の人に遅れるならちゃんと連絡してくれと怒られた。
何年も前にこういうことがあったのだけど、これも徒歩でいける幻想と呼べるかもしれない。
徒歩でいける幻想には、幻想まで徒歩でいける、というパターンと、本当は遠いのに歩いていけるのではないかとつい思い込んでしまう、という二つのパターンがあることが判明した。