悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2021/04/02

川本三郎『郊外の文学誌』を読んでいたらこんな文章があった。

東京は変わり続けていることが常態となった、世界でも珍しい都市である。東京に生まれた人間で、大人になってもなお生まれた家と同じ家に住んでいるという例は、きわめて少ないのではないか。東京では刻々と風景が変わってゆく。だから近過去へのノスタルジーという特別な感情が生まれてくる。

ここ何年か、ときどき渋谷へ行くたびに西口のようすが変わっていることに驚いていたけど、常態らしい。森鴎外も東京はいつも普請中だと書いている。
すこし前に前田愛『幻景の街』も読んだ。
この本は、文学作品をそこに描かれた街をきっかけに論じる。作者が舞台となった街を訪れて、その印象など書き加えられているあたりが面白い。取り上げた作品に描かれた時代と著者がその舞台に赴いた時とで開きがあると、街の移り変わりにも触れる。
この本自体が何十年も前の本なので、今と比べるとそこにも移り変わりがある。作品の中の時代と『幻景の街』の時代と私の現在。明治の時代はもはや私にとって近過去とは言えないかもしれないが、昭和五十年代の文章を飛び石にして、ノスタルジーのノスタルジーを感じたのかもしれないと、先の引用箇所を読んで思った。

昨年の夏、夜にかくれて立川の駅前をふらふらしていた。通りのベンチにこそこそ話したり、飲み物を飲んでいる人たちがいた。その人たちは影になっていて、はっきりとは見えない。話し声の断片だけがきこえる。ときどき大きな笑い声。
以前、放し飼いのヤギたちが草を食んでいた場所には、いつの間にか、商業新設がオープンしていた。
そこには中庭のような空間があり、芝生になっていたり、椅子やベンチが置いてあったりした。人口の池もあり、水が流れていた。
コロナのせいなのか、それともファミリーの帰りは早いからなのか、それほど人はいなくて、とはえい楽し気にふらふらしている人たちの気配は感じられ、それにあてられこちらも少し楽しい気持ちになる、ちょうど良い時間を過ごすことができた。

このところ暖かくなってきて、外をふらふらしたい気持ちが湧いてくる。
でも、私と同じような気分の人がぞろぞろ外へ出てきて、どこへ行っても人で溢れかえっているのではないかという妄想がもたげて、気が引けもする。などと思いながら外に行ったときの写真をスクロールしていたら、2020年の分はあっという間に終わってしまい、2019年12月29日の渋谷の写真が出てきた。
酔って駅まで歩く途中、ぴかぴかとピンク色に光って良い気分になり撮った。2020年は東京オリンピックが来るのだと、それを憂鬱に思い、それを私のうだつのあがらない日々に敵対するものの象徴のように憎んでいたので、間抜けなピンク色の光は2020年へと私を送り出す嫌味な花道に違いない、しかしこんなに間抜けじゃ笑っちゃうね、とよくわからないことを思ったような思わなかったような。そのころ想像していたよりもはるかにバッドな2020年はあっという間に(それこそスマホを一度シュッと撫でたら過ぎてしまったのだ)過ぎてしまい、家からはあまり出ず、東京は今日も変化してるらしいけど。

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