悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書日記

6/29

 

しばらく日記を書いていませんでした。
サッカーばかりみていたせいです。
本はいちおう読んでいます。
本日は金子光晴『どくろ杯』を少し読みました。
ひとつのところにとどまっていたいと思ってしまう「私」が、周りのせいというか自分のせいであっちへいったりこっちへ行ったりするさまにおかしみがあります。
自分で行動する、というのとはべつにやむにやまれずそうしてしまう、というのは感じ入るものがあります。
私は、死にたいかときかれれば死にたくはないとこたえるだろうけれど、いずれ死ぬよりほかにないだろうな、という気分はずっとあって、それは生活のためだったりするわけだけど、私にとっての死への意志は、やむにやまれずそうするよりほかないという事態に陥ってしまったときに、躊躇なく踏み切るために準備しておかなければならないものとしてあるようです。

 


 7/1

 

 

金子光晴『どくろ杯』を読みました。
自伝的小説。
著者の20代半ばから30代にかけての話。
出てくる人たちや出来事のようすがおかしいです。
ただおかしい事柄が書かれているから、おかしいのではなく、もちろん書き方のためもあるのでしょう。

 

四十年以上もむかしのことで、記憶は摩滅し、風物が霞むばかりか、話の脈絡も切れ切れで、おぼつかないことが多いが、それだけにまた、じぶんの人前に出せない所行を他人のことのように、照れかくしなくさらりと語れるという利得もないではない。

 

事実、それも自分自身のことを直接の題材にした小説を読むとき、対象との距離感が気になります。対象との隔たりをうむのはなんといっても時間で、「いつ」のことを書いているのかというのは重要なのかななどと思います。