悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

3/5

いい天気だった。暖かくて、今日のような日にはそのたびに逃避行の夢をみる。

夢といっていいのか、白昼夢というほど体験的なものではなくてほんのちょっと隅のほうをかすめるのは断片で画なのか観念なのか区別がつかないから、思い出そうとしてもただいい天気だとか言うことしかできずもどかしくてそのような時にはいつも「今日は死ぬのにもってこいの日」というナンシー・ウッドの本のタイトルが浮かぶ。これは読んだことのない本なのでおかしな話なのだけど今日のような日が「今日は死ぬのにもってこいの日」に違いないと思うのはきっとタイトルしか知らないからなのだろう。

本日は引き続き漱石の猫を読む。

終盤の登場人物一同が集結しておしゃべりするシーンはたのしい。そういえば大勢の登場人物が出てくる小説、というのは同じ場面にということなのだけど、が好きなことを思いだす。大勢の人物がおしゃべりするのを書くのは難しいだろう。この後にわざわざ二人の会話で進んでいく小説である「二百日」をわざわざ書いたのは不思議。

たのしいおしゃべりもいずれは終わってしまうのはわかりきったことで、それまで大勢の人がいたのにみんな去ってしまった後の空間のさびしさをともなって小説は終わる。
〈無理を通そうとするから苦しいのだ。〉という猫の独白にしんみるする。