悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記3/15

3/15

チェーホフの本をぱらぱら見ていて、「いいなずけ」は読んでいないことがわかる。

 

八月十七日(火)晴
朝ごはんを終えてすぐ、河口湖駅より列車便の原稿を出しに下る。主人同乗。駅から思いたって、そのまま本栖湖へ行く。ボートに乗る。岸づたいにはこられない、人のいない熔岩の入江に船を着け、水着をもってこないので、主人真裸になって湖水に入り泳ぐ。水は澄んでいて深く、底の方は濃いすみれ色をしている。ブルーブラックのインキを落としたようだ。そのせいか、主人の体は青白く、手足がひらひらして力なく見える。私は急に不安になる。私も真裸になって湖に入って泳ぐ。

富士日記 上』(中公文庫)

 

なんだか夏が待ち遠しい。
夏の終わりすら思い浮かべてしんみりする。

 

八月二十三日 晴
(‥‥)男が二人やってきて、しゃがみこみ、寝ている男をさわっていたが、抱きつかれていってしまう。水が冷たすぎたらしい。だから、他の人たちは、また、ふちにねそべったきり、プールの水をじいっと眺めている。一時間ほどいて四時帰る。もう夏も終わりなのだ。

同上

 

もう何年も泳いでいない。去年も一昨年も泳ぎにいく予定があったのにけっきょく行かず。だから今年は行こうか、という話でもない。

 

夏に泳ぐ。富士日記で泳ぐのは、昼間だし、関係ないのに、真裸で泳ぐというのを読んでREMの「Nightswimming」という曲を思いだす。英語はわからないので実際浮かぶイメージは漫画ベックに出てくる似たようなシーン。ベックでは湖。「Nightswimming」もたぶん湖かあるいは川か。海ではなさそう。

 

できれば湖より、海がいい。海の遠いところに育ったせいか海に憧れがある。片岡義男の「あの雲を追跡する」という短編小説には完璧なフォームで泳ぐ少女が出てくる。夏休みのボーイ・ミーツ・ガール。少年と少女は二人きりの学校のプールで出会い。一緒に海へ行く。砂浜で二人は一晩を共にする。驚きの展開。といってもほんとうにただ寝て起きるだけ。でもじゅうぶんすぎる青春。青春の海はいい。

 

〈絹みたいにきれい泳ぐ〉はくるりの「屏風ヶ浦」。
〈浜風みたいなシャツを着て〉というフレーズもとても良い。
浜風は実際にはあんまり好きではないからわたしの浜風は観念の浜風かもしれない。観念の海もいい。

 

浜辺で目覚めたキム・ミニはマックスビールを飲んで、意外とわるくない、と言い合ったり。海は青春でなくてもいいし、夏でなくてもいい。

 

なんか、わたしがふだん海へ行ったときみたいに慌ただしい感じになってしまった。もっとゆっくり歩いて楽したいのだけど。

 

本日はけっきょくチェーホフではなく、カーヴァーを読んだりした。
前夜と同様、寝る前には笙野頼子の「大祭」を読む。