悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書日記

2018/10/20


仕事。どんな天気だったろうか。あまり外に出なかったのだとおもう。寒さは感じた。会社に鍵を忘れてしまいとりにもどる。
栗原裕一郎/若田部昌澄『本当の経済の話をしよう』、北村太郎『ぼくの現代詩入門』を読む。


栗原裕一郎/若田部昌澄『本当の経済の話をしよう』は何年か前に途中まで読んだもの。ところどころ線が引いてあったけど、よくわかっていなかったのだと思う。今回も同様。経済学で重要なのだという「インセンティブ」「トレード・オフ」「トレード」「マネー」の四つの概念を例をあげたりしながら説明している。わかった気がしていたけれど、いざ振り返ってみるとよくわからない。
デフレはよくない、ということと、資本主義はゼロサムではないらしいということはわかった。たしかに〈しゃくな金持ちども〉(矢沢永吉)な気分はわたしにもあって、あいつらが徳をしているから、わたしが辛いのだなどと思っているふしはあるかもしれない。
他にもわたしがなんとなく、こうだろう、と思っていることが実は違いますよというようなことが書かれているのだけれど、その根拠について理解が追いつかないといった感じ。

 


2018/10/21


幾たびの恋愛もまいど、違うなあ、と思うなら、もう恋愛は違うということでよいのではないか。


こんな国は捨てて空を突き抜けて大気圏に突入無重力でparty 船出-new contry(feat.田我流) /QN


休み。家にいる。昼過ぎに従兄弟のこどもが遊びにきたので遊ぶ。
スカイプで読書会をする。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』。ホントは読書会などといえたものではないとはいえ、生活する上で少ないながらもの慰めだ。いや励ましだ。今後も続けば良い。
竹村和子フェミニズム』、『現代詩文庫45 加藤郁乎詩集』を少しずつ読む。


2018/10/22


恋人がいて家族がいて嗜好は異なるとはいえいっしょに本を読んでくれる人がいてもなお、さびしいなどと思うとすれば、その想念が間違っているか、さもなければ一生解決などしないだろうに。
竹村和子フェミニズム』を読み終える。精神分析の話がまざりはじめてからさっぱりわからない。

 


2018/10/23


仕事。晴れ。いや曇ったり晴れたり。
『現代詩文庫45 加藤郁乎詩集』を読む。
ちかごろ眠る前に武田百合子富士日記 上』を少しづつ読んでいる。
『現代詩文庫45 加藤郁乎詩集』


武田百合子の日記に職人が出てくる。

工事の人たちにスイカを買って食後に出す。工事の人たちは、十時に一回、昼食後に一回、三時に一回、きちんと必ず休息する。休息するときは、大きな松の木の根元や軒下に新聞紙を敷いて、真直ぐに仰向けになり、顔に手拭をかけて死体のようなって全員眠りこける。そして二十分ぐらい経つと急に起きて、いきなり働きだす。 


いぜん、わたしの知り合いに植木屋がいて、植木屋のおじさんは誰某のお宅に行くと「奥さん、奥さん」と言う。すると奥さんが出てくる。奥さんは田舎のご令嬢だけども、私はバッグなんか買うくらいならお庭に木とか花を植えたいの、などと言う人でたびたび植木屋のおじさんを呼んではあの木をこっちとかあっちとか、指示する。おじさんは奥さんはセンスの良い人だよと言っていた。庭のセンスということなのだろう。
奥さん、という言いかたはそのうち無くなりそうな気がする。いまでもほとんど消えかかっているかもしれない。
それともわたしとはぜんぜん縁のないところで「奥さん、奥さん」といったり、いい合ったりしている人たちがいるのだろうか。


(この話はヘンで、本当の話がだとしたら、わたしがどこにいるのかわからない。嘘ではない、と言いたいところだけど、嘘っぽい。)

 

 

 2018/10/25


昨日は、飲みに行く。
晴れている。ちかごろ、ずっと良い夜ばかり続いている。明るくて、空が高い。逃亡前夜といった趣き。夜歩いてみても、ちっとも良い夜を楽しむことができないので、明日逃亡するための準備をしているうちに更ける。
逃亡とは、逃亡前夜のための方便にすぎないのかもしれない。「明日」の朝、わたしたちは逃亡したりしないとしたって準備にせいを出すことで存在しない可能性を寝るまでのわずかな時間に夢みるのだ。眠ってしまえば夢を見るまでもなく朝はきてしまうのだし。


北村太郎『ぼくの現代詩入門』、『現代詩文庫46 石垣りん詩集』を少しづつ読む。
生活と生活する人たちのことを想いかけて、それはまったくわたしのことなのであって誰に対して共感し流す涙のすべては、わたしへの慰めなのだと思った。


(一日あたりの日記を書く量が減っている。ほんの少し仕事がいそがしいためで、本を読む時間も減っているため読書日記に書くこともない。)


(いそがしくて、時間がなく、こころに余裕がないときの文章の気持ち悪さをこころに留めておきたい。ひごろからなにも考えていないとはいえ。)

 

書くだけが絶景の狂おしいさなかには、待ったをかける自己懲罰的な鞭がからみ付いてきたりするが、それを振り切ってマーヤの闇を行くだけ行くしかないのだ。    荒廃郷にて /加藤郁乎