悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

雪が降る

 東京で雪が降った。数年ぶりの大雪だった。大雪と行っても、ほかのところと比べたら大したことではないのだが、それでもたいへんな騒ぎになった。

 寿司屋へ行った。カウンター席のほかには小上がりと、四人掛けのテーブル席が一つあるだけの小さな店だった。入り口のところには名前のわからない植木が飾ってあった。

 入ると、何人かの先客がいた。カウンターに三十くらいの若い男の一人客、テーブル席には品の良さそうな老夫婦。こちらは七十くらいか。日本酒の冷やをひっかけながら、刺身の盛り合わせと、ぶりの煮付けを食べ、小さな声で何やら話している。カウンターの男もぶりの煮付けを一人つっついていた。額の脂ぎった、体の大きな男だった。

 少しして店の電話が鳴り、持ち帰りの注文が入る。上寿司二人前、巻物の穴子、めんたい、コハダが一本ずつ。はい、三十分ほどで出来上がります。板前が手際よく寿司を握っていく。上寿司は鉄火巻とカッパ巻が半分ずつで一本と、握りは赤身、中トロ、いくら、かんぱち、蒸し海老、玉子、等々。あまりジロジロと見るのも悪い。巻き物の穴子は千切りの胡瓜、めんたいは刻んだシソ、コハダはガリとシソがそれぞれ入る。穴子はかるく炙ってから巻いて、四つに切り、刷毛でたれを付ける。

 巻物といえば、バブルの時分は、鉄火とカッパの両方の入れられた巻物が「アベック巻」と呼ばれていた。アベック巻はカップル巻にはならず、今はテッキュー巻と呼ばれている。

 上寿司は一人前が握り八巻に巻物が一本、それが二人前と細巻三本、全部が完成すると、それらは松の木の絵があしらわれた飯台にうまい具合に並べられて(きっと盛り付けの流儀がそれぞれあるのだろう)、ヤマと呼ばれる笹の葉で飾り付けられる。今ではビニール製のものも多いが、この店はまだ熊笹を使っていた。

 出来上がった寿司が風呂敷に包まれカウンターの空いたところへ置かれると、ちょうどいい頃合いで持ち帰りの客が店へ来た。四十前後の女だった。随分と着込んでいて、頬が赤い。ここ何日かの東京は、しんしんと、底のほうから寒い。

 常連客なのか、お代を払いながら、「また今度、ゆっくり食べにきます。今日も来られたんですけど、今日は犬の誕生日で」とその女は言って、しばらく黙り、それから「犬が誕生日で、人間が寿司食べるんじゃねぇ」と続けて、からからと、笑いながら帰っていった。