悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

逃走派

星野道夫は満員電車に乗って、その後アラスカへ行ったという話をきいた。
それからは、電車に乗るときはアラスカのことを考えることにした。
電車の中にシロクマがいたとしたらどうしようとか、ヘラジカがいたらどうしようとかそんなことだったと思う。
ヨネクラは潰れたらしい。
ハイパーレーンで待ち合わせる。
大きいシロクマは3メートルもあるとか。扉から扉の間くらいまであるかもしれない。ヘラジカも2メートルとかあるとか。
とにかく大きい。大きい生き物には山手線の車内は狭いだろう。人のサイズにつくってあるけど、それでも窮屈に感じた。
知らない駅で電車を降りることは、どこか逃走めいてはいないだろうか。待ち合わせをすっぽかして降りたりするけれど、山手線はアラスカと比べるまでもなくあんがい小さい世界だ。
ハイパーレーンを車内からみた記憶はない。ヨネクラだってどうか。
車内からみたことはなにも覚えていなくて、でもシロクマはいたような気がする。
シロクマはホッキョクグマともいう。
イヌイットホッキョクグマから狩りの仕方を学んだ。氷に空いた穴のそばで身を潜め、獲物が息をするために水上に現れたときを仕留めるらしい。
息苦しさに耐えかねて、知らない駅で降りてみたものの、そこに狩人はいない。
知らない駅は知らない駅風で、池袋とも新大久保ともほとんど変わらないようでもたしかに一度も降りたことのない知らない駅然としていた。すべての知らない駅は知らない駅としてすでに知られているのだとすれば、途中下車逃走派一派の敗北はすでにしれたことだろう。
いつか、アラスカに旅に出た若者の映画を観たことがあった。どこか深刻な様子の若者で、けれどもハッピー野郎だったので彼は死んだ。アラスカは観念ではなかったわけだ。かくして観念派逃走派一派も敗北した。
山手線の車内にシロクマやホッキョクグマは存在しないし、もちろんそこはアラスカですらなく東京なのだが、アラスカそのものは存在している。
星野道夫は一人きりのアラスカで、次第に観念的な文章を書くようになったというが。