悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

読書日記

その日


A・ A・ミルン(石井桃子訳)『クマのプーさん』を読む。

 


「コブタ。」と、ウサギは、えんぴつをとりだして、そのさきをなめながら、いいました。「きみは、ちっとも勇気がないんだな。」「でも、とっても小さい動物になってみたまえ。」コブタは、かるく鼻をすすりながら、いいました。「いさましくなろうったって、むずかしいから。」


わたしたちもきっと小さな動物で、いやそんなことはなくてせいぜい小さな人間なのだけど、いさましくなろうったって、むずかしいのは、きっとそうだ。
開き直るのは良くないかもしれないけれど、集中を保っていられないほどの速度で日々の生活がやってくるので、いかんともしがたい。

 

 


その日


休みだったので、髪を切りに行く。
美容室に行くたびに書いている気がするけれど、本当に気が滅入る。つやつやした髪をした人たちが美容師と楽しそうな会話をしているのを見ているとここにいてはならない気がしてならない。しかし、本日、わたしが会計をしていると、初めてその美容室に来たのであろう十代後半くらいの人が緊張した面持ちをして待合の椅子で手持ちぶさたにしているのに気がついて、もう何度も通っているわたしは得意な気持ちになった。帰り道で自己嫌悪。


帰りの電車でカルヴィーノ(米川良夫訳)『不在の騎士』を読み終える。


甲冑の下は空っぽである主人公アジルールフォは肉体を持たないため、食べたり寝たりすることはない。


瞼を閉ざし、おのれの意識を失い、虚無の時間に沈みこみ、やがてまた目をさますと以前と同じ自分を取り戻し、その生活の糸をふたたび結び合せることができるという能力がどのようなものであるのか、アジルールフォには到底、知ることは出来なかった。p16


幸いにしてそのような能力をもつわたしは、今夜眠る。この場所で意識を失い、なにもかもとの区別がなくなってしまうといい。
未来を待ち焦がれて、急ぎ足でかけることもできない。せいぜいわずかに残された希望は一歩一歩の徒歩だ。まったく嫌な奴だし、生活もできなそうとはいえ。