悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

約一ヶ月間の日記

6/10

雨にうんざり。
雨が好きだったときもあったと思う。

 

6/11

 仕事。
有給をとったら、と勧められたものの、有給を取るために業務を調整しなければならないのが異様に面倒に思えてから空返事ばかりしてしまう。
この調子では、休みを取りたくない変なやつだと思われかねない。もちろん、休みはほしい。何日休んでも多すぎるなんてことは絶対にない。

 

6/12

仕事。
日中は雨はあまり降らなかった。
今は雨音がしている。

的場昭弘カール・マルクス入門』を少し読む。
マルクスの著作の解説というよりは、伝記色つよめ。

 

6/13

休み。
通っている美容室の美容師が店を変えるかもしれないとのこと。
考えなければならないことが増える気がして面倒な気分になる。

尾崎翠第七官界彷徨」を読む。
穏やかな気分になる。
会話はチャーミングだし、登場人物たちが暮らす建物の感じもとても良い。

 

6/16

休み。
暖かい一日だった。
家のなかで過ごすのにはちょうど良かったと思う。暑いくらいだったかも。
新しい部屋着を着て過ごしたら気分が良かった。そんなことで気分が良くなるのだ。

日記以前の、或いは決して日記に書かれていない筈の、おぼろな、しかし色彩にあふれた閃きのような存在感だけが、私の憶い出せるすべてであった。意識の記憶より感覚の記憶のほうがはるかにつよいことに私は驚いた。道の、家のたたずまい。陽ざしと暗がり。音のきこえ方。匂い。ーーそれらを手がかりに、私はいつの間にか、数年がかりで私の幼時を再体験していた。そうしながら眺めてみると、それは実在の記録より以上に親しみ深く、生き生きと〈ほんとうの幼年〉として私の眼に映ったのだった。

 私の中の幼年/吉原幸子

という文章をメモした。
手書きの良いところはめんどくさいことかもしれない、と思う。

余華『ほんとうの中国の話をしよう』を読み始める。
タイトルから想像していたのは違う感じ。
私小説のような、幼い頃の記憶などが書かれる。
〈憶い出せるすべて〉のような。
微妙な心情が述べられているけど、過去の自分自身の心情にあまり深入りはしない。

 

6/17

宇宙にただよう微かなささやき。暗く、誰もいない場所、振動はわかりやすい線を描き、安心に伝わる。
はっきりと喋ること。

 

 6/18

今日は良い天気だった。
暑かった。いろいろと面倒な仕事が舞い込み、嫌な気分にもなる。
不安なことも多い。大丈夫かしら。

プー横丁にたった家』を読む。
岩波から出ているaniversary edition(挿絵がカラー!)を図書館で借りてきた。
そのうち買えればいいな、といつも思う。

そういえば中学生とか高校生くらいのときあるいはもっと前のころは、買った本より借りて読んだ本のほうが断然多くて、そのくらいの時期に読んだ本は自分にすごく影響を与えているはずだけど、手元にないのはちょっと惜しいような気もする。

さて、そのあとで、橋の上にのこったのは、クストファー・ロビンとプーとコブタでした。
ながいあいだ、三人はだまって、下を流れてゆく川をながめていました。すると、川もまただまって流れてゆきました。川は、このあたたかい夏の午後、たいへんしずかな、のんびりした気分になっていたのです。

「プーがあたらしい遊戯を発明して、イーヨーが仲間にはいるお話」のラスト。有名な橋から木を投げて遊ぶお話。イーヨーとトラーが仲違いしてしまうも、クリストファー・ロビンの機転で最後は良い感じで終わる。
そしてこの文章が出てくるのだけど、永遠の夏の川辺という感じでとても良い。


6/19

仕事。
今日は仕事終わりに、図書館へ行き、そのあとダイソークリーニング屋に行った。活動的で良い。
昨日から、明日は早く寝ようと思っていたけど、けっきょく十二時を過ぎている。ちかごろは朝起きたときに本当に眠たくてどうしようもない。

 

 6/25

仕事。
わりかし暇がある仕事だけど、空いた時間を無駄にしてしまっている気がする。

晴れ。昨日の天気もあまり覚えていない。なのでとうぜん、一昨日の天気も覚えていない。
天気がころころ変わって、寝る前に翌日の天気をチェックしても、朝起きたら変わっている気がする。
今日は良い天気だった。晴れいていた。雨が降った日を悪天候というのも変な気がする。良い悪いという話ではないのかも。

こんなに晴れているのに、なんで仕事をしているんだろうという気分になるので、そういう意味では悪い天気と言えるかもしれない。
帰宅後は、多和田葉子『聖女伝説』を少し読む。
ちかごろあんまり本を読めていない。気持ちが浮ついているのかも。

 

6/27

休み。
10時半ころまで寝てしまう。

父は仕事やめて半年くらい家でのんびりしている。気にしているようで、センシティブな雰囲気をときどき出すとか。

本日も多和田葉子の『聖女伝説』を読む。
足について、いろいろ書いてある。
歩くこと、足について。
「かかとを失くして」という小説も著者は書いている。
裸足とか、足をなくす、とか、歩けなくなることへの恐怖?

 

6/29

Sとクリスチャン・ボルタンスキー展を見にいく。
あんまりよくわからなかったけど、それなりに面白いような気もした。
帰りに、ナッツの専門店でくるみを買う。
買って電車に乗ろうとしたところで傘を忘れてきたことに気づき取りに戻る。朝からお腹の調子が悪くて、駅ビルのトイレに寄ったらくるみを置いてきてしまった。何マス戻る?

 

6/30

今日はあまり本を読まなかった。
それでもなんとなく充実した気分があって良かった。
『新作文宣言』を読んでいたら、もう自分の文章感みたいなのがすごく影響を受けていることに気づいて驚いた。

最近外をうろうろしていると、すぐに疲れてしまう。
以前からすぐに疲れてしまうほうではあったけど、疲れてからの粘りというか、そこからけっこうたくさん動き回れた#のに、最近はつかれてくるともうちっとも動きたくなくなるし、眠くなってしまう。
年齢のせいかなとか一瞬思いかけたけど、歳をとったふりをするにはまだ若いような気もする。歳をとったから、という若い人ってあんまり好ましくおもわないし。

カバンが重いというのはあるかもしれない。本というのはなかなか重い。出かけるときに本をたくさん持ち歩いてしまうというのは、エッセイとかを読んでいてもよく出てくるエピソードなので、よくある話なんだろうけど、みんな体力あるのね。

 

 7/2

仕事。
異様に体調が悪くてなにも手につかなかった。
体が火照って内側から発熱しているような感覚。
手足が、関節がだるい。
たぶん熱があったんだと思う。
熱中症かと思ってどきどきしたけど、たぶん違いそう。

近ごろあまり本を読めていない。
頭に入ってこない詩集を読んでいるというよりは眺めたりしている。
いろいろ雑事に追われているせい?
先月の後半から生活のリズムが悪くなって、なおせないまま半月くらい経ってしまったようだ。

 

 7/8

仕事。
先週くらいからずっと体調が悪い。
今週の平日休みの日にはさすがに病院に行こうと思っていたら今日はわりかし調子が良かった。休みまでに治ってしまうかもしれない。

安田峰俊『八九六四』という天安門事件についてのルポタージュの本がとても面白かった。事件に関わった人や事件から影響を受けた人にインタビューした本。