悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

2019/02/12

仕事。
仕事中に西村賢太「春は青いバスに乗って」を読んだ。バイト先での暴行事件で留置所に入ったことを書いている。
同部屋の留置人との友情というほどでもないような関係で、主人公の「私」は彼らからの恩を返そうとおもうのだけど思うようにいかず結果裏切ってしまったような心持ちになる。「私」は二度、そのような思いにかられる。
これはバイト先の人とうまくやっていると思っていたら、逮捕後によく思われていなかったということを聞かされたことが伏線になっており、とても切ない。裏切られた側も、きっと裏切られたなどとさほど思っていないだろうことが察せられるのだけど、だからこそ報いることに意味があるのだろう。この短編の良いところは(良くないところなのかもしれないけど)、嫌なやつのことは次第に遠ざかっていき、よくしてくれた人と満開の桜の思い出が最後まで描かれることだ。
留置所に入るという体験はショッキングだし、それに類するような体験はたぶん持っていないけど、それにしたって寒さのせいなのか気は塞ぐし勝手に人のやさしさをくみとって泣きそうになる。

2019/02/13

仕事。
眠たい。
注釈ということばが思い浮かんで、天沢退二郎が『作品行為論を求めて』で深沢七郎とか入沢康夫について注釈ということでなにか言っていた気がする。しばらく前から読み返したい気分が続いていてときおりぱらぱらしているのだけどちっとも読んじゃいない。裏表紙にある金井美恵子の文章が好きでそこばかり何度も読み返している。

彼の作品行為を支持しつづけることはいわば書きつづけることを決意した者たちの運命的な出会いに身をまかせることにも似る。わたしたちは果てしない決意の中で詩人を見つめるだろう。


本日は夏目漱石『道草』を読む。 主人公の健三と妻との会話。

「御前は役に立ちさえすれば、人間はそれで好いと思っているんだろう」/「だって役に立たなくちゃ何にもならないじゃありませんか」