悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記

2019/02/11

休み。
昨日と、今日と休み。
昨晩は八王子へいった。ひさしぶり。古本屋で散財したあと、沖縄料理のお店へ行く。
となりでおじいさんが飲んでいて、常連らしく沖縄が郷里のようだった。寺山修司を読んでいたので変な想像がふくらんだ。郷里から遠く離れたところで暮らす男‥‥‥。

 

 

ひとりで飲むことはやってみたいことだ。やったことがない。
ひとりで飲むというのはどういう感じなのだろうか。黙って、だらだらと飲んでいる人を見ることがあるけれど、自分にはできないといつも思う。

ひとりでお店に入るとどこを見ていたらいいのかわからなくなってしまう。食べ物を注文して待っているあいだなんかでもつらい。あんまり周りをきょろきょろ見ていると間抜けだと思われてしまうんではないだろうかと不安になって、目の前から視点をうごかせなくなってしまう。

テーブルの一点をみつめてそこがぐわーっと大きくなって視界のすべてになってしまって周囲はみれないし、逆に見られているんじゃないかという気分になってくる。ちょっと異常である。たいていは本を読んだり音楽を聴いたりして気を紛らわせるので気にはならないのだけど、ひとりで飲むとなると本を読んだり音楽を聴いたりするのはおかしい気がする。となるとひとりで飲んでいると一点を見つめることになる。ぐわーっでだ。おそろしい。おそろしいのでできない。

ひとりで飲んでいて、知らない人と話したりする人もいるらしいけど、これもどういうことなのか。まず百パーセント、わたしからは話しかけないだろうから、もし誰かと話すとしたら相手から話しかけてくることになる。相手からすれば、たのしいお酒の時間をよりたのしくするために話かけてくるはずだから、これはたいへんなプレッシャーである。


思い出したこと。
むかし、わたしが12歳のころ。親戚から野球のチケットをもらって、6つくらい年上の親戚のお兄さんと一緒に観に行くことになった。ところがお兄さんはなぜか行けなくなってしまってひとりで行くことになった。なんだかよくわからないまま内野自由席でおばあちゃんが持たせてくれたおにぎりを食べながら試合前の練習をみていた。すると、後ろから声をかけられたので、みると年上らしき男の子が4人くらいいた。どうもわたしが一人で来ているのを見て一緒に見ようじゃないかと声をかけてくれたらしい。妙にやさしい感じで、なんというか、猫とか赤ん坊にたいして接するような感じに違和感をおぼえつつもいくつなのかと問われたから11歳だとこたえた。


ーー5年生?
ーー6年です。


あれあんまり変わらないね、などという。彼らは中一で13歳だといった。戸惑っているようだったので、わたしはふと気がついた。
当時のわたしはとても背が小さかったので、彼らはわたしをもっとずっと年下だと思ったのだ。彼らのひとりで野球を観ているこどもへのやさしさにたいしてなんだか申し訳ない気持ちになったわたしは彼らへの返答がしどろもどろになってしまい彼らは彼らで一つしか変わらないわたしを妙にこどもあつかいしてしまったがために気まずいようで、わたしは席を離れた。幸い自由席だったのでどこへ座ってもよかったのだけど少し離れたところに座ったのではわたしが彼らから逃げたみたいで申し訳がなく、仕方がないのでフードコートへいった。フードコートへ行ったからにはなにか食べないわけにもいかず、さきほどおにぎりを食べてお腹はちっとも減っていなかったけれどラーメンを注文した。はじめてひとりで一人前のラーメンを食べたと思う。