悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2021/03/16

kid frecinoとC.O.S.Aの「LOVE」が好き。
帰り道にSpotifyのプレイリストから流れてきた。
〈干渉と言わずに互いを理解する〉という歌詞をずっと〈感傷と言わずに互いに理解する〉だと思っていた。
感傷という言葉のきめの粗さに満足せず、歩み寄ることかと思っていた。
焼肉を食べようと言い合い、ちょっと駅から遠いお店を予約したので歩く。ざわざわした大きな街ではなく、ほとんど住宅街の、見ず知らずの人があまり通らないような道をふらふらと良い気分で通り抜ける。警察官が待ち伏せていて通りかかる自転車をとめていた。
そもそも焼肉はそんなに好きじゃなかったのだと気づいたのは二人とも店を出るときで、でもそのことは二人とも口にはせず、どんな話をしたのかも思い出せないものの、噛み合うような噛み合わないような、街灯のあかりだけでは頼りなくてはっかりと捉えることができなかったのは表情だけではなかったのだと後悔のようなものをその帰り道にはもうすでにどちらかは感じていて、でもまだ暖かい日のこと、ふらふら歩くには気分が良いし、晴れていてちょっと遠回りなんかしたいかも、でもどうせすぐまた会うんだろうから、んじゃばいばいって軽い感じで。それっきりもう会わなかった二人のうちのどちらかはしばらくして、エッセイとも日記ともつかないようなものをいい夜だったとお気に入りのノートに書き記したり、あるいはブログにのせてうっとりとしてしまうような気分を、その感傷を、求めず、互いを理解する、つまり感傷と言わずに互いを理解する、ということだと思っていたけど、違ったわけだ。