悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2022/06/07

風呂からでると暑く感じる。この熱を冷まさないととてもじゃないが寝られる気がしない。
暑くなってくるとそういう日が増える。
真夏というような時期になると冷房をつけることにためらいがなくなるから、梅雨前くらいがもっともそのような日が多い。今からエアコンをつけていて夏を乗り切れるだろうかと、変な気持ちがエアコンをつけることをためらわせる。
梅雨に入ったらしいのでそのような日は減るかもしれない。昨日今日などは涼しい。

窓をあけておくと虫が心配でいてもたってもいられず、あまり開けない。とくに夜は外より部屋が明るいので不安が大きい。部屋の灯に吸い寄せられて虫が集まってくるのではないかと思ってしまう。網戸に虫よけのスプレーをかけ、さらに虫が寄り付かなくなるという板チョコみたいな形をしたモノを網戸につけている。その上で窓は閉めている。
しかたがないで、なにがしかたがないのかわからない気もするが、外へ出てみる。そういう日はたいてい外のほうが涼しい。
コンビにでアイスを買って駅前をうろうろする。外で歩きながら食べるアイスはおいしい。
駅前はかつてはそれなりに賑わいがあったらしい。いまはすこし寂しい。
明るくて屋根があって座れるところがあれば良いのにと思う。そうしたら夜の時間をそこで本を読んで過ごすかもしれない。

ちょっとやんちゃそうな男の子が女の子と連れ添って駅前の雑居ビルの階段をのぼっていく。ビルにはバーの看板が出ていた。どんなバーなんだろうと想像する。彼らの仲間が集まっているバーなのかもしれない。
先輩が経営しているとか。東京の極西の少年たちは夜な夜な駅前のバーでなにをしているのか。好奇心のままに私も階段をのぼりバーの扉を開けることができたら、私も多少はおもしろい話のできる人間になれるのかもしれない。しかしそうはなれない。勝手に書いてしまうというのもある。

だいたい私はブログには嘘ばかり書いているような気がする。
ときどき読み返してみると、書いた出来事より書かなかったことが思い浮かぶ。ああ、あのことやあの感情は書かなかったなと。しかし書いていないことなのでそれらは不安定だ。今の時点になって、そのように感じるだけなのかもしれないという不安はぬぐい切れない。
書かなかったことはひどく不安定だが、書いたからといてなにか確かなものになるわけではない。
世の中には、自分はこうだと書けばそのようなものになると思っている人もいる。もしかしたらその人はそうなのかもしれない。私は違う。だから書いてみて少しずつ私を修正する。
この試みは不毛だ。いかなる書かれた私も私自身と重なりあうことなどないことを知っているからだ。
だとすれば、もっとなんでも書いてみればいいと思うわけだ。
例えば雑居ビルの階段をのぼっていくやんちゃそうな少年の向かったさきとか、そんなことも勝手に書いてしまえば良い。