悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記4/2

4/2

すべての空き巣は固有の方法を持ち、一度捕まれば痕跡はたちまち辿られてしまう悲しい技術。
空き巣の悲しさはあまり儲からないということもある。

本日は仕事が忙しかった。忙しいのに、あくびがしょっちゅう出てしかたがなかった。昼過ぎからしゃっくりが止まらなくなり、あくびをしている最中にしゃっくりをすると、ヒャっと音が出てしまう。しゃっくりは夜になってもとまらず。今までもしょっちゅうしゃっくりが出るし出ると止まらなくなると思っているけど、他の人のしゃっくり事情については知らないのであんがい他の人も同じくらいしゃっくりが出ているのかもしれないし、そうだとすればわたしは他の人のしゃっくりにほとんど気がついていないので他の人もわたしのしゃっくりには気づいていない可能性がある。あるいは死ぬのかもしれないとも思う。しゃっくりが止まらなくなると、これはなにかのっぴきならない病気の前兆で、そのために死ぬかもしれないと思い不安になる。しゃっくりが原因で死ぬと死んでもしゃっくりをしていそうだ。
みんながお焼香をしているさいちゅうにもヒャッ、ヒャッとなるのはちょっとおかしい。
棺桶もその度に揺れたりするかもしれない。

しゃっくりが止まらなくても幸いにして不幸にして死ななかったので帰宅後は「私の作家遍歴」などを読んだりした。

ゴーガン(ゴーギャンのこと)はタヒチへいく。ゴーガンはヘルン(小泉八雲のこと)と同時代人で「私の作家遍歴」の著者は通底するものをみる。

海の上にある時は人は、目ざす陸地に辿りつけるということを、本当は考えないものだ、という。暴風雨や難破という事故のために、辿りつくことが僥倖だというのではない。陸地のまわりに海があるというのではなくて、海を進んで行くと、偶然のように陸があった、ということだからだ、という。陸地はそれほど心細い存在なのだ。実は海が主であるのだ。そうなると、どの陸も、海から見れば同じものともいえる。近づくと、木が茂り人が動いている、そしてそれがやがて街なのだ。 

 

という文章に続いて、

最初に見たところ、この小さな島には、何のふしぎなところもなかった。例えば、リオ・デジャネイロのすばらしい港に比ぶべくもない。目を皿にして、私は比較しようなどとは考えずに、この島を見つめていた。

 

というゴーガンの文章を引用する。作者は目をさらにしてというところに注目する。
さらに続けて、

ヘルンが初めてみる西インド諸島をえがいたり、日本の横浜をえがいたりする筆致と似ている。わたしはそういう文章を、とりたててくわしく紹介しようとしなかったけれども、ここで読者に想像していただければありがたい。 

 

と書き、ヘルンの話に戻るのだろうかと思わせつつ、ヘルンについて〈やはり次のような性質のものを、皿のような眼は見ていたのである。〉としたうえでやはりゴーガンの文章を引用する。

これは太古ノアの洪水に沈められてた山の頂きで、わずかにその頂きの先端だけが水面に出ているのだ。そこへある家族が脱れて来て(これは疑うべくもない)生活の根をおろした。珊瑚もまた、その新しい島をとりまき被うてはびこった。次第にその家族はふえて行った。しかし、それは、祖先からの孤独と淘汰の性格を保っていて、海がその偉大さを強調して鳴っている。

見ていたというより、どのように見ようとしていた、といった方がよかろう、と私には思える、見ようとしていたものが、ヘルンとよく似ているということである。

 

ヘルンについて語るのかと思いきやゴーガンばかり引用するのがちょっとおもしろい。

ヘルンが話の中心なのではなくて、あるいはヘルンとゴーガンを強引に結びつけようとしているわけでもなくて、ゴーガンについて語ることがそのままヘルンを語ることになっており、しかもそのヘルン像はほとんどゴーガン(なにしろ語られているのはゴーガンなのだから)に思える。なので「ヘルンの話に戻る」という言い方は間違っているかもしれない。
この両者の距離、さらには両者を対象としたときの作者との距離に独特のものがあるのかもしれないと思う。
面白く読んでいるような気もするけれど、論旨のようなものはちっとも理解していないような気もする。