悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

日記4/3

4/3

今週はなかなか忙しい。
それでも、たいした残業があるわけでもないし、はたから見ればとても楽な職場だろうと思う。
こんなんでいっぱいいっぱいになっているようでは、本当にポンコツなんじゃないかと思わずにはいられない。

岩本巌『現代アメリカ文学講義』という本のなかのレイモンド・カーヴァーについて〈誰しもが気がついてるように、カーヴァーの書く小さな物語は一見どこにでもあるアメリカの生活の断片を語っているようでありながら、奇妙なほどに〈不気味な驚き〉を読む者に与えます。つまり、ごく日常的でありながら異常な感覚(非日常性)をかもしだしているのです。〉と書いている。
それは作者による〈作られた狂気〉があるかなのだという。
わたしはカーヴァーの小説を読んでいるとき、会話の成り立たないような、言うなれば頭の悪そうな登場人物が出てくるたびに、もっと素朴にこういう人いるなと思ってしまう。

仕事中、わたしの話していることがまったく理解されないことがある。瞬発的に、相手のことをまったくばかなんじゃないかと思ってしまうのだけど、相手も同じようなことを思っているからお互いの言っていることが理解できないのだという可能性はとても高い。
相手のことをばかだと思っているわたしの方がばかで相手は実はばかじゃないとか、わたしが正しくて本当に相手がばかなのだとか、そういうことではなくて、お互いにほどほどにばかというのが真相なのではないかと思う。

重要なのは、そうは言ってもきっと根っこのところでわたしは自分のことをそれほどばかではないと思っているし相手もきっとそうなのだということで、だからこそ歩み寄りは困難だし、この絶望は深い。

カーヴァーの小説を読んでいるときに感じるやりきれなさはこの絶望に近いように思う。

ふだん小説を読んでいると、こんな賢しい会話があるもんかと思うことが多いのだけど、じっさいに世の中には非常に高度な会話をしている人も少なからずいるのでけっこう驚く。

 

ちかごろ暗いことばかり書いている気がするのでもっと明るく前向きなことを書いたりしたい。
日記などといいつつも、人前に晒しているこの文章の装いは日記風なのだし、わざわざ暗いことばかり装っていても辛くなるだけかもと思う。春だし明るい色の服を着よう。