悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2019/12/05


図書館で借りた本が何冊か溜まっていたので読もうかなと思っていたのに、ちっとも読まなかった。
Netflixで『ドライヴ』と『麻薬王』という映画を観た。『ドライヴ』はずいぶん前に一度観たことがあった面白かった記憶があったけど、今回は思ったほど楽しめなかった。『麻薬王』も期待していたものとはぜんぜん違うものだった。ソン・ガンホの表情が好きなので、ソン・ガンホの顔ばかり映っていたのは良かった。

多和田葉子の『雲をつかむ話』を読む。
多和田葉子の小説のなかでも好きな部類だった。〈人は一生のうち何度くらい犯人と出遭うのだろう。〉という書き出しは一番好きかもしれない。

 

ドブネズミには、なぜ価値のあるものが分かるのだろう。いろいろ考えた結果、アンネッテが注目したのは、においだった。一生懸命になると指からある種の汗が出て、それが物に付着する。犬は怖がっている人がいると、独特の汗のにおいで分かるというではないか。人の気持ちはにおいになって漏れ出しているのではないのか。そんな話をアンネッテがしてくれたことを思い出した。

ドブネズミを飼っている登場人物いて、ドブネズミが飼い主の大切にしているものを巣に持っていってしまうのでなぜだろうと考える。
犬と生活しているとき、犬がこちらの何かを受け取っていることを感じる時がある。言葉を理解しているとは思わないけど、なにかしらのメッセージがこちらから出ていてそれを読み取っているのだ。日ごろ、言葉を発すれば通じると思っているので不思議な気持ちになる。犬をたくみに従わせる人は、犬が何のメッセージを読み取っているのかを理解していて、犬の読み取ることのできるメッセージを発しているのだろうと思う。

多和田葉子の小説では、ゴシップめいた噂話や勝手な憶測がよく出てくると思っていて、そういう場面はけっこう好きなのだけど、においについてもよく書かれている気がする。
わたしにとってにおいといえば、納豆と遺体で、どちらのにおいもあまり好きではないのに一度嗅いでしまうといつまでも鼻の周りに残っている感じがする。多和田葉子のにおいはそうした避けがたいものというよりも、噂話や勝手な身上とおなじように嗅ぎつけてしまうものだとすれば、なんとなく話としておさまりがよい気がしたけど、これまで読んだ小説について実はあまりおぼえていない。