悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2019/12/09

いくらなんでも寒すぎる。
一日中眠くて、寒すぎるために眠すぎたのか、眠すぎたために寒すぎたのか、わからないとはいえ関係があるのではないかと考える。

昼間に天気を調べたら最高気温が9度だった。
それほど寒くないような数字に思える。
天気予報とわたしの体感には関係がないのではないかと思うものの、夕方のニュースで「今日は気温より寒く感じました」とかなんとか言っていたりすると、だいたいわたしの体感と合っていたりするので、少なくともテレビの見解とわたしの体感温度はあまり変わらないと思う。
あるいは小さい頃からテレビの天気予報を見てきて影響をうけてきたためわたし自身の気温の感じ方がテレビの天気予報士の語るそれを真似してしまっているという説はどうだろうか。
とはいえ実際、自分を形作っているのは物心ついてから読んだ本などよりもそうした下らないものなのかもしれないとも思う。

 

「はあ 」とわたしはいった。

お昼休みに後藤明生の『S温泉からの報告書』を読んでいたら、こういう一文に出くわす。
わたしもよく「はあ」と言う。ぼんやりしていると人への返事をほとんど「はあ」にしてしまう。
文章を書いているときもすぐに「はあ」と書きたくなってしまうのだけど、はたして「はあ」と書いたところでわたしが思う「はあ」のニュアンスは伝わらないのではないかと不安になる。不安になるので「はあ」と書いてしまってもあわてて消す。「はあ」以外にこれは伝わらないのではないかと不安になることはほとんどない。だからなんでもいい加減に書いて晒してしまうわけだけど、なぜだか「はあ」はいい加減に扱えない。
それではまるで、わたしの書くことの中心には「はあ」があるのかもしれないと思えてくる。実際、そうなのかもしれない。

『S温泉からの報告書』で「はあ」が出てくるのは、主人公が病院へ行き、看護師にちょっとしたお願いをしたものの断られてしまう場面。断れたうえにあれやこれやと断った理由を看護師述べるので、「はあ」という半端な返事になってしまったのだと思う。

 この「はあ」はわたしが思う「はあ」にとても近いと思う。
間違ってもため息なんかではないし、ヤンキーみたく語尾が上がるわけでもない。
はい、そうですが、そういうことなら、まあ、そうなんでしょうけど、その話にもおかなしなところがあるような気もしますけど最初の方はあんまりきいてなかったしどうでもいいと言えばたしかにどうでもいいし、なんというか、はあ。みたいな感じだろうか。