悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2022/06/18

大江健三郎『美しいアナベル・リイ』で、登場人物のサクラさんは「私」の書いた新潮文庫版『ロリータ』の解説を契機のひとつとする。
大江健三郎は実際に『ロリータ』の解説を書いていて、私はそのことを知らなかったので、つまり『美しいアナベル・リイ』をいままで読んでいなかったということなのだけど、読むことにした。ただ解説だけを読むのはもったいないので、『ロリータ』本編も読むことにした。
一通り読み終えてみると、面白く感じた。
ハンバート・ハンバートに先行してロリータを誘惑していた人物が明らかになったとき、なるほどと思った。これは20世紀の小説の悲哀なのだと理解した。堅牢で隅々まで神経の行き渡った堂々たる『ロリータ』の宮殿は、とたんにツルツルとして作り物めいて見えた。それはたいへん切実なことであり、感動的なことに思えた。友人に電話して(その人はロリータを最初の100ページくらい読んでよむのをやめてしまったらしいが)、感動したという話を一方的に話していたら、たしかにその感動は間違いのないものに思えてきた。
ところが、「あとがき」でナボコフは象徴的な意味を取り出すようなやつは馬鹿だというような書きぶりで(それにしても、少し前に『ロシア文学講義』を読んでいた時も思ったけど、ナボコフハンバート・ハンバートなみにいかがわしいと思う。ナボコフの文章を偉そうと思うか、大変勉強になると思うか、いかがしいと思うか。)、そういわれると、なんだか恥ずかしい気がしてきたので、読み返そうかどうか迷った。でも長いしなみたいな。

大江健三郎の解説は「野心的で勤勉な小説家志望の若者に」というタイトルで書かれている。たいへん良かった。ロリータからの突然の来信で急な旅に出るハンバートが、まだ眠っているリタの臍にセロテープで別れのメモを留めるという部分を取り出して、これが良いという。ナボコフが『ロリータ』を再読はしないが懐かしみながら思い出すと書くのを受けてである。
やっぱりもう一回読みたいような気がしてくる。読んでる最中にとったいくつかのメモをみながらぱらぱらと読み返し迷う。
迷いながら、『美しいアナベル・リイ』を読み始めたら、それほど長くないので、ひとまずこちらを読むようにした。
ハンバート・ハンバートの声がまだ反響しているので、冒頭のカッコ書きも不整脈と言う心臓に関わる不調もまるで『ロリータ』との関わりとしてあるかのように思ってしまう過敏さもしだいに薄れつつおもしろく読む。