悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

2022/06/15

尾崎一雄「赤城行」を読む。
会社の昼休みのこと。なにか読もうとkindleアプリで本を開いたり閉じたりしていたら、先日車で群馬へ出かけたからか、赤城という字が目にとまった。
私は群馬といっても伊香保に出かけた。だから赤城とは別になんの関係もないといえば関係ない。伊香保へも、別に泊まりで行ったわけではない。温泉にも入っていない。ただ、なんとなく出かけていき、階段を上り、そしておりた。
「赤城行」で「私」は「ただ何もせずぼんやりしている、何も考えず静かなものたちの中でうつらうつらと──何時間経ったか何日そうしていたかも判らぬような時が過ごしたい、そんなことが切に望まれるのだ。」と語っているが、私もそんな気持ちででかけたのかもしれない。私はあてもなく出かけたが、「私」は違う。赤城を選んだのには理由がある。
行くのなら先ず赤城へ──これは前から思っていたことだ。それに、志賀直哉先生に赤城を場面とした作品があり、赤城の風物はこんな私にとってこの上ない休み所と思われたからであるが、先生が親しまれた地へ自分も行くと云うことが第一に私を惹きつけたのである。  

聖地巡礼みたいなものだろうか。志賀直哉と赤城と言われてもピンとこないくらい、私はものを知らないのだが、「私」は志賀で赤城といえば「焚火」だという。あれは赤城山の大沼が舞台になっている。

「赤城行」は前橋のバス停からはじまる。バスの発車を待っていると雨が降ってきて、「私」と案内役の酒井は赤城の天気を案じる。「焚火」も「その日は朝から雨だった」というようにはじまる。
「私」は翌朝に山をのぼっていく。しかし大雨になり同行者がやめようというので途中であきらめる。やがて雨があがると、「私」は焚火をやりたいという。「焚火」の真似をしたいのだ。雨が降ったあとなので木が湿って焚火はできないのではないかと言われると、「私」は白樺は濡れていても火がこたえる。「私」はこの知識を「焚火」から得た。
しかし、火はまったくつかず、けっきょく焚火はあきらめることになる。
結局焚火は出来なかった。四十分以上もかかり、マッチ一箱を空にしたが不成功だった。二三日続いた雨空で、枯枝は手に重い程濡れ浸っているのだ。しきりと工夫している私を、酒井はにやにや眺めていたが、しまいには気の毒にでもなったか身を入れて手つだってくれた。が、ついに駄目だった。  

「焚火」にはたしかに白樺は濡れてても燃えると書かれており、実際〈白樺の皮へ火をつけると濡れたまま、カンテラの油煙のような真黒な煙を立てて、ボウボウ燃えた〉とあるので不憫だ。

「焚火」は幽玄と言ってもいいような、怪談めいた話が焚火の場面で披露されるが、帰り際に「赤城行」の「私」が聞かされるもっと生々しい話だ。

「ときに、あれは警察自動車じゃないか。うん、心中未遂の検証だな」中爺さんが、道の向う側に置いてある車を顎でしゃくった。  
「そうだよ、大分前に登ってったからね、今に帰ってくるだろう。警察も楽じゃないね」亭主が引取った。  
「するてえと、御両人を拝めるわけだね、こいつは見ものだ」皆は面白そうに笑った。  
「私」の側で交わされる心中の話は盛り上がり、「私」はうんざりしてしまう。
私はだんだんと気がふさいで来た。こんなところへ、昨日の未遂者たちが降って来たらたまらぬと思った。  

とても期待して出かけていき、なんか思っていたのと違うというのはよくある。その上手くいかなさがユーモラスで良い短篇だと思った。

なにごとも期待しすぎずにいたほうがよいのかもしれない。
とはいえ、あてもなく伊香保へ出かけた私は私で、もう少し下調べしてきたほうが楽しめたかなと思ったりもしたのだけど。
ところで伊香保方面から前橋方面へと車を走らせていると、降っていった遠い先のほうがなだらかな傾斜になっており山の形をしているのが見えた。
私の育った町では山は遠くのものを遮るものだったが、そこでは遠くにあるものこそが山であり、なんの隔たりもなく眺めることができるのが印象深かった。あれが赤城山だったのだろうか。