悪い慰め

感傷癖から抜け出すためのレッスン

雨が降っていたので暗かった

雨が降っていたので暗かった

朝、目が覚めるとあたりは暗く、まだ夜中なんじゃないかと思ったが朝だった。
雨が降っていたので暗かったのだ。
朝に雨が降るのは久しぶりに感じた。
この時期は雨が降っていると、起きる時間でもまだ暗い。
陽の光を浴びないと目覚めが悪いらしいと聞くので、なんだか不安な気持ちになる。
雨が降っていたばっかりに、今日一日不調で過ごさなくてはいけなくなるかもしれない。
たしかに布団から出るのが億劫に感じる。でもそれはいつもより寒いからかもしれない。前日の朝よりも寒い気がした。
前の日に見た天気ニュースでは本日はここ数日では暖かい日になると書いてあったような気がする。
「冬は晴れている時より曇っている方が暖かい」などと昨日Sと話したような記憶もある。
放射冷却がどうのこうのと話したのではなかったか。
時計をみると、目覚ましがなってから5分が過ぎていた。

ところで、改行を多くすると、作為的な感じがするだろうか。
作為的というか、安易というか。
演出の意図を感じとられたりするだろうか。
改行などせずに書くと一気呵成に書いた感が出るのだろうか。それともかえって演出くさくなるのだろうか。変な人だと思われたくないから、過剰に普通を装うとかえって変だと思われてしまうみたいな。
しばらく前に読んだ『ウィトゲンシュタインの愛人』という小説は改行を面白く感じたのだった。すごく頻繁に改行されている。
語り手がタイプライターで書いている設定なので、改行はつまりリターンキーを押したということなのだろう。
いや、タイプライターで改行するときに押すボタンはリターンキーなのだろうか。
そういえばタイプライターのことを全然知らない。
まあとにかく、文字に表されないものが改行にあるのではないか、と思ったのだ。
詩の改行はきっともっと厳粛なものではないかと想像している。私は詩がほとんど理解できないので、過剰に敬っているのかもしれないけれど、『ウィトゲンシュタインの愛人』の改行は書き手の温度感のようなものを感じさせた。
手書きで文章を書いたときの筆跡があたえる印象が、キーボードで書いた文章にはないけれど、もしかしたらリターンキーによる改行は、筆跡と文体のあいだにある「書き手らしさ」を装うかもしれない。